今週の福音の個所は先週の続きで、マタイの所属していた教会共同体の中の問題です。ペトロがイエスに「兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」と尋ねます。 イエスは「七回どころか七の七十倍まで(無限に)赦しなさい」と教えられます。そして莫大な借金(一万タラントン)を王に免除してもらったしもべが、自分にごくわずかな借金(百デナリオン)をしている仲間を許さず、その借金をしている人を牢に入れた物語が語られます。王はその非情さを怒り、借金を帳消しにしたしもべを処罰に引き渡します。イエスは、神から無限の罪の赦しを受けたわたしたちが、隣人の小さな過ちを赦さないならば、天の父も私たちに対して同じように扱うと戒められています。教会の共同体は仲の良い気の合う人たちだけが集まったわけでないので、育った環境や生活や価値観がみんな違います。ひとつの家族であっても仲が良かったり、バラバラの家族があります。同じ修道院の中でも好きで集まった同士でないので、うまくいかない人がいたりします。まして教会の中なら価値観や考えの違う人がいて当然です。イエスはただ赦しなさいではなく、わたしたちが神さまから赦されているのだから赦しなさいと言われました。毎日たくさん赦されて我慢してもらっているので、神さまからそうされていると言われたらそれ以上何も言えません。わたしはいま生活している場所は、みな何かの事情でひとりで生活できない人たちの集まっている施設です。だから一緒にいると疲れる人や面白くない人もいます。ほとんど男性は無口です。朝の挨拶も出来ない人たちが多いです。挨拶は相手を受け入れる始めの一歩です。自分の部屋がわからなくなる人もいます。そういった人は他人の部屋にいきなり入ってきます。すみませんもありがとうも言えない人たちの中で明るくして、機嫌よくしていなければなりません。あたり前のことが出来ない人たちの中で生活するのは疲れることです。

 でも神さまに対してのわたしの生き方も、お礼や感謝を忘れているのに、でかい顔して平気で生きているのです。わたしは1日に何回も一緒にいる人たちに嫌な気持ちを抱いています。そんな時に、自分は神さまに不愉快な態度をとっていなかったかと考えてみなければと思います。仕返しや無視することを乗り越えることは自分自身にいのちを与えます。人を赦すことがあれば自分のいのちが豊かにされていきます。人をゆるせない時に、大切なことは誰も完璧な人はいない、自分はその人の裁判官ではない。と考えることです。人を責める気分から解放されれば、わたしたちはもっと自由になれます。自分を神さまの前に置いて考え、人を赦し、人を責める気持ちを手放すことが大切です。*(O)

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