四旬節・復活節の根本的なテーマは、イエスの死と復活(=過越)にあずかることです。今日の福音の箇所はイエスの受難と結びつく個所です。イエスの受難=栄光の時が迫っていました。イエスはご自分の受難の時こそ、異邦人に救いがもたらされる決定的な救いの時のしるしであると考えていました。イエスは自分のいのちを差し出すことが多くの実を結ぶことであると考えていました。

 今日の一粒の麦の福音を読んでわたしは、昨年、教皇フランシスコが聖テレーズ生誕150年を記念して出された使徒的勧告「信頼の道」を思い出しました。教皇はアルゼンチン時代、ベルゴリオ大司教のころから、どんなに短い手紙にもその中に必ず聖テレーズの御絵を添えていて、旅行の時はいつも持ち歩く黒いバッグの中に、「髭剃り、聖務日課、手帳、それに愛読書の聖テレーズの本」が入っていました。このような長年のテレーズとの親交から、教皇はテレーズの霊性の価値を確信し、それを教会全体に伝えたいという強い願いがあって、この使徒的勧告「信頼の道」を出されたようです。

 わたしは聖テレーズ(テレジア)のファンで、彼女の書いた文章に触れて、神父になりたいとの召命を感じました。それで今日の福音でイエスが自分を一粒の麦に例えて、死ねば多くの実を結ぶと言われたことは、聖テレーズが「わたしは死後バラの雨を降らしたい」と言っていたことと似ていると思いました。彼女は「わたしは天国で、何もせずにいるつもりはありません。わたしの望みは引き続いて教会と人々のために働くことです。」「わたしはバラの雨を降らせたいのです」聖テレーズは、教会の愛に燃える心臓のなかにとどまり、イエスのために働きたいと考えていました。聖テレーズは、15歳でカルメル会修道院に入会し、1897年に24歳で亡くなりました。イエスのことを深く理解し、イエスと同じように他人のために自分のいのちを差し出す人が世の中にもっと増えてくれたら、どんなに世の中は変わるでしょうか。

 今日3月17日は「日本の信徒発見の聖母の祝日」です。キリスト教への迫害が少し穏やかになった1865年のこの日、数十名の男女が、建てられて間もない大浦天主堂を訪れ、プチジャン神父に「私たちはみな、あなたと同じ心です」と、キリスト教の信仰を持っていることを告げました。彼らは200年以上にも及ぶキリスト教への厳しい弾圧を、不屈の信仰を持って耐え忍んできた人々の子孫でした。2015年からこの日は、「日本の信徒発見の聖母」の祝日として日本固有の祝日として祝うことになりました。勇気ある人々の信仰告白によって日本のキリスト教が復活しました。しかし、今日は日曜日なので四旬節第5主日主日のミサが行われています。*(5)


使徒的勧告 信頼の道
―聖テレーズ生誕一五〇年を記念して
カトリック中央協議会

 

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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