皆さん聖母マリアの被昇天の祝日おめでとうございます。聖母の被昇天は、本当は8月15日がお祝い日ですが、旭川市内の教会は直前の13日に、年間第19主日の代わりに、聖母の被昇天のミサをしてほしいとの、主任司祭からの願いで少し前倒ししてお祝いしています。

この祝日は聖母マリアがこの地上での生涯の日数が終わった後、神のめぐみによって霊肉ともに天の栄光に引き上げられたことを祝う日です。聖母マリアの被昇天を8月15日に祝うことは、五世紀に遡ることができます。その頃聖母マリアを「神の母」と呼ぶことで論争があり、エフェソ公会議(431年)で、「聖母マリアは神の母である」と決定がなされ、その後で「神の母」としての祝日が8月15日に祝われました。その後6世紀からは「神の母の就寝祭」として祝われるようになり、1950年になって教皇ピオ12世は、長い間教会の信心であった聖母の被昇天をカトリックの教義と決定し宣言されました。わたしたちはロザリオの祈りを唱える時、栄の玄義で「聖母の被昇天」を黙想して祈ります。ロザリオは13世紀に聖ドミニコによって広められた信心ですから、その頃からすでに、聖母がキリストの救いの業に一番先に与ったと信じられていたことが分かります。

今日は聖母マリアが帰天して真っ先にキリストの救いの業に与ったことを考える日です。この時期は、ふるさとに帰りお墓参りしたり、終戦記念日もあるので死について考えることが多くなります。自分が神様のところに行った時、すぐに迎え入れてもらえるかどうか少し心配です。神父だったので人一倍厳しく審査されそうです。マリア様はまっすぐ天国に入れました。死について考えることは自分の毎日の生活を意味のあるものに変えてくれます。死が必ず訪れるという事は、生きて活動する時間が制限されることです。わたしたちは時間の制限があれば、それに間に合うように努力します。年を重ねてくるとそれだけ神様の前に出る時が近づいてきます。渡辺和子シスターは「若いときは自分の時間を自分の思ったように使うことができました。もっと時間があれば、あれもしたい、これもしたいと思っていました。ところが、歳をとって時間に余裕ができたら、若いころには苦もなくできたことが、容易にできなくなりました。これが老いることの哀しさでもあります。」と書いていました。わたしもいま毎日時間があります。身体が不自由になって、本を読むことも片手しか使えないので大変な苦労がいります。ページをめくるのに一度どこかにおいてめくらなければなりません。先日施設の職員さんから「山本さんいまいちばんしたいことは何ですか?」と聞かれました。わたしは「どこかにドライブして美味しいものを食べたい」と答えました。タイヤのついた車ですがいま乗っている車イスではどこにも行けません。時間がたくさんあっても今度は、健康がありません。出来ないことよりはできることを考えなければなりません。今あることを考えたらわたしは時間がたくさんあります。ぼんやりと過ごすのではなく、人のためにお祈りすることができます。わたしは、入院したり手術が近い人などからのたくさんの祈りを頼まれています。ロザリオを1日5環は祈るつもりですが、できない日もあります。先日聖クララの記念日には、その霊名の人が知り合いにたくさんいて、ひとり5環ずつプレゼントしている祈りが足りなくなってしまいました。いつも気が散ってロザリオをよく祈ることは難しいですが、わたしは質より量の祈りでもしないよりはマシだと思っています。

8月15日は終戦記念日、聖フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本を聖母マリアに捧げた日です。8月14日はアウシュビッツの収容所で、自分の命を人の身代わりに差し出した。聖マクシミリアノ・コルベ神父の記念日でした。皆さんは、お盆にお墓参りに行く人も多いと思います。神様のため働いた聖人たちのようにはできなくとも、少なくともご先祖さまや亡くなった人たちに安心してもらえるような信仰生活を心がけたいものです。今日はマリア様にわたしたちがまっすぐ天国まで行けるようお願いしましょう。*(ka)

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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