先日21日は今年の夏至でした。今日は6月25日、これからだんだん日が短くなっていきます。クリスマスまであと半年になりました。歳をとると時間の流れが早く感じるのは仕方のないことですね。今日の福音は、イエスは12人の使徒たちを宣教に派遣するのにあたって述べた言葉です。弟子たちが迫害されることを予見した言葉が出てきます。マタイ福音書が書かれた頃のキリスト者共同体は迫害にあっていたので、イエスの「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」の言葉は、彼らにとって力強く感じられた言葉だと思います。イエスは二羽の雀が一アサリオンで売られている、あまり価値のないその一羽さえ父のおゆるしがなければ、地に落ちることはないと言いました。わたしは雀のことで、毎年の春先、島根県の津和野の乙女峠で行われる殉教祭のことを思い出しました。1865年に日本の信徒発見の出来事がありました。しかしまだキリシタン禁制の時代だったため、信仰を表明した長崎の信徒たちが、全国各地に流刑されました。萩の津和野に二度に分けて流刑された信徒は浦上の主だった信徒28人とその家族の125人でした。その地で殉教した人が37人いました。その中に14才の守山裕次郎という少年は、拷問を受けてなくなりましたが、牢屋の中で一羽の雀がご飯粒を含んで来て子雀の口に入れてやっているのを見て、「わたしがここで責められるのを、神さまがご覧になって、より以上にかわいく思ってくださらないはずはない。こう思うと勇気百倍、元気が出て、なんの苦しみもなく堪え忍ぶことができました」と話しました。雀親子の愛を見て神の愛を悟った裕次郎は、1871年(明治3年)1月16日にその魂を神のみ手に委ねました。
昨日、6月24日は洗礼者ヨハネの誕生の祭日でした。洗礼者ヨハネは領主ヘロデの行いを批判したため捉えられていて、ヘロデの誕生日に斬殺されています(マタイ14.1-12)。その前々日の6月22日はイギリスの二人の殉教者、聖ヨハネ・フィッシャー司教と聖トマス・モア殉教者の記念日でした。この二人は16世紀のイギリスの有名人でしたが、国王の結婚に異議を唱えたために1535年に斬首されました。
教会の歴史を振り返れば、キリストをはじめ使徒たちや多くの殉教者の血が流されて教会は大きくなっていきました。神の側につくならば、迫害は避けられないことのように思われます。イエスは体を殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるなと言われました。
わたしたちは神よりも人の目、世間を恐れて行動することがあります。日曜日に教会に行く時だけでなく、いつもキリスト者として、神の側に立つことを心がけていたいものです。
6月はイエスのみ心の月です。キリストの気持ち、神さまの気持ちはどうなのかと考えてみることが、わたしたちをもっと深め、キリスト者として成長させてくれると思います。*(Ka)
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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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