今日は5月最初の日曜日ですね。わたしは5月になったら聖母月のカトリック聖歌を聞きたいなと思っていました。もう何年も前から教会で歌声が聞こえなくなりました。まして、カトリック聖歌集は歌われなくなっているので、今月は♪青葉若葉の風かおーりて♪などの聖母月のカトリック聖歌が歌えたらいいなと思っています。
さてGWに入ってニュースを観ていたら、各地の高速道路や観光地に向かう道はいずれも渋滞して混んでいました。今日の福音で、イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われています。わたしはイエスの言う道は渋滞していないだろうかと考えました。イエスの言われた道は永遠の命に至る道です。イエスは、狭い門から入りなさい。滅びへの門は広く、そこに通じる道は広々としていて、そこから入るものは多い。しかし、いのちへの門は狭く、そこに通じる道は細くて、それを見つける者は少ない(マタイ7.13)と言われました。いま教会に来ているわたしたちは、自分は狭い道を選んでいると思っています。イエスは、人生の成功への道、金持ちへの道、豊かな楽な生活を約束してはいません。自分の十字架をとってイエスのあとについて歩むたいへんな道です。イエスは「わたしは道であり真理であり命である」と「道、真理、命」を三つ続けて話しますが中心は道です。真理である道、命である道。この道において確実に真理を知り、命を得ることができる、わたしはそういう道なのだと言われています。それは永遠の神へと至る道です。神と人を結ぶ唯一の通路。イエスは道を示すのではなく自分が道なのでその上を通りなさいと言っています。有名な賀川豊彦は「道は人に踏まれることによって、その使命を果たす。ところが私の足は泥だらけで、どうしてこの足でイエス様を踏むことができるであろう。しかしイエスさまは泥のついた足で良いから、私を踏んで父のもとに行きましょう」と言ってくださるのです。と言っています。
今日の福音の初めの方でイエスは「わたしの父の家には住むところがたくさんある」と言われます。立派な人だけが父の家に入るのではなく、さまざまな人が神の国に入ることができるのです。泥足の人がこの道に踏み込んでも問題ないのです。イエスと一緒に十字架につけられていた盗賊のような人もそうでした。わたしたちは自分がいい加減な弱い者だからイエスの道にふさわしくないなどと考えなくてもいいのです。イエスは医者を必要とするのは健康な人ではなく病人である。わたしは罪人を招くためにきたと言っています。自分の足が汚いことを恥じないようにしましょう。またイエスがこの道になって下さったことを感謝しましょう。
古今東西多くの賢人や指導者たちがたくさんの道を教えてくれました。神に至る唯一の道がイエス・キリストの道です。わたしたちは長い旅路にあって道に迷うこともわからなくなることもあります。イエスはわたしたちを導き、死の影の谷を共に歩んでくださる良い羊飼いでもあります。*(5)
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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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