神のいつくしみの主日は2,000年の大聖年にヨハネ・パウロ二世教皇が「神のいつくしみの使徒」ファウスティナ・コヴァルスカ修道女を列聖した時に、毎年、復活祭の翌週の日曜日を「神のいつくしみの主日」として祝うように定めました。

三年前の神のいつくしみの主日に教皇フランシスコは、先週の日曜日にイエスの復活を祝ったわたしたちは、今日は弟子の復活を見守ります。と話されました。イエスが弟子たちに現れてから八日後、復活された主を見たにも関わらず、弟子たちはまた家の中にいて、「戸には鍵がかけてあり」まだ恐れのうちに過ごしていました。そして、イエスが来られた時唯一その場にいなかったトマスに、イエスの復活を信じさせることもできずにいました。イエスは恐れに満ちた不信の中にいた弟子たちに前回と同じように彼らの真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように」と同じ挨拶を繰り返しました。前回の出現の時にいなかったトマスにはあなたの指を伸ばしこの傷に触れなさいと言われました。ディディモと呼ばれるトマスは頑固者でした。自分の目で見なければ信じないと言い張っていました。

今日4月16日はルルドの聖ベルナデッタの祝日です。聖ベルナデッタは謙遜に生きた聖人です。ルルドはいま世界的に有名な巡礼地になっています。ベルナデッタは1858年2月11日最初のご出現があった時、14歳でした。病弱で家庭が貧しく、学校にもまともに行ってなかったのでアルファベットも書けない子どもでした。その後五ヶ月あまりの間に18回の出現があり、その中で3月25日の出現の時、聖母はご自分が「無原罪の御宿り」であると名乗られました。ベルナデッタは出現の二年後に修道院に入りました。そこで人目につかない地道な仕事に従事し、35歳で亡くなりました。子どもの時からロザリオくらいしか何もできない役立たずとみなされていました。聖ベルナデッタは無知で貧しい者の自覚を持って聖性への道を歩みとおした聖人ですと書いていた本があります。わたしは、自分の目で見なければ信じないと言いはったトマスとはずいぶん違うと思いました。

イエスが弟子たちに現れ、ご自分の受難の時に逃げ出していた彼らを責めることなく、彼らが信じるものになり、もう一度立ち上がるよう手を差し伸べられました。イエスの復活が弟子たちの復活になったのです。「神のいつくしみは.取り残された者を見捨てない」のです。

神はわたしたちに精算を求める主人としてではなく、わたしたちをいつも助け起こすお父さんでいることを望みます。

自分が何もできない、弱く惨めであっても、自分の惨めさと不甲斐なさを神に捧げましょう。

イエスの復活は使徒たちを変えました。弟子たちが復活のイエスに出会って復活したのです。彼らはいつくしみをあたえられた者から「いつくしみを与える者」に変容されていきました。復活したイエスに出会ってわたしたちは変えられていきます。復活のイエスにたくさん出会いたいですね。*(Ka)

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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