みなさん、主のご復活おめでとうございます。この三年間あまり新型コロナのパンデミックによって教会は押さえつけられ、押し込められてきました。今年の復活祭はこの重荷から解放された本当に喜ばしい復活祭になりました。お花見や入社式が盛大に行われているニュースを見て、新型コロナの恐れはまだあるものの、世の中はもう動き初めていることを感じます。

新型コロナによってたくさんの事が変わってしまいました。教会の中から横のつながり、歌声が消えました。復活祭やクリスマスなどの祝賀会がなくなりました。誰かが亡くなってもこっそり葬式が行われていました。誰か親しい人が入院しても、病院へのお見舞いや面会が出来なくなりました。わたしたちが大切にしていたミサや共同体のつながりがなくなりました。わたしたちは他者とのつながりに依存していたことを知るとともに、自分が新しい方法でほかの人に奉仕できることに気づくことも出来ました。

三年前の復活祭に教皇様は、「この危機のさなかに祝った復活祭で、わたしたちが聞いた死に対するいのちの勝利のメッセージは、キリスト者はパンデミックよって麻痺したままではいけない。ということを教え、主の復活は希望と信頼と勇気をもたらし、わたしたちを連帯の中に強めた」と言っています。

この三年間に、わたしたちは、お世話になった方や親しかった方へのお見舞とか訪問ができませんでした。でもその分、メールや祈りによって繋がっていることが出来ました。教皇はこの危機の中で、別の種類の「感染」、心から心へと伝わる愛を学んだとも言っています。

今日の福音はヨハネによる福音です。復活の出来事は使徒たちにとっても理解が難しかったのです。マグダラのマリアから話を聞いた二人の弟子は墓に走りましたが、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかった」のです。パウロはコリントの教会への手紙で「キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(1コリント15.12-14)と言います。

復活は聖書の中心的使信です。今日の第二朗読で「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい」(コロサイ3.1)と言います。キリストの復活を信じる時、人生の意味が変わってきます。死が終わりではなく、死を超えた人生が開けてきます。最初は弱かった弟子たちも復活のイエスに出会ったことでだんだん勇敢にあかしするようになっていきます。今日の福音では。二人はまだ理解していなかったのですが、わたしたちも、いつも神さまに不満を言ったり、つぶやいたりしているので、信仰の弱いわたしを強めてくださいとお願いしていきましょう。*(Ka)

 

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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