みなさん主のご降誕おめでとうございます。主のご降誕の日中のミサでは、福音の朗読箇所がヨハネ福音の冒頭の箇所です。いま神居教会の聖堂にはご降誕のプレゼピオ(馬小屋セット)が飾られています。いま置かれているこのセットは、美唄教会の屋根裏に何十年も前から置かれていたもので、指や顔が破損していました。数年前にわたしが神居教会に戻ってきたとき、ここの教会のクリスマスの聖堂には赤ちゃんのイエス様のご像だけが箱に入って置かれていました。マリア様もヨセフ様も動物もいなく、箱に入れられて、まるで、どなたかもらってください状態でした。それで、美唄から旭川に運び、六条教会の器用な方にお願いして修復してもらいました。

 もう役立たずで捨てるに捨てられなかった物が見事に再生されて再利用されていることを嬉しく思います。

 役立たずに見えるオンボロでも上手に使えばまだ役に立てることをこのクリスマスの人形は教えてくれているような気がします。

 12月22日の教皇一般謁見の時、教皇はイエスの降誕について講和をされました。その中で、万物の創造主には、お生まれになるための場所も与えられなかったことを考えて、それはおそらく、ヨハネ福音書の「言(ことば)は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」という記述(1,11)、ルカ福音書の「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕するところもない」というイエスご自身の言葉(9,58)を先取りする出来事であった。と述べました。

 イエスの誕生を知らせたのは天使でした。天使はそれを羊飼いたちに告げました。また、東方の三博士たちは星に導かれてベツレヘムにやって来ました。天使は神の御使いでした。星は神が光を創造されたこと(参照 創世記1,3)、この幼子が「世の光」(参照 ヨハネ8,12)であることを思い出させます。

 「神はわたしのために来られた」と、それぞれの人が言えるように。神を受け入れるには謙遜が必要です。謙遜をもって見ることは、虚栄や高慢の鏡を壊すことです。イエスを見つめることは、新しい世界を見つめること、わたしたちの心に触れ、希望を与える神を見つめることです。兄弟姉妹の皆さん、良き、聖なる降誕祭を!と呼びかけました。*(K)

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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