主の復活おめでとうございます。わたしは聖金曜日に旭川赤十字病院で脳のMRI検査を受けてきました。約1年ぶりのMRI検査でしたが、「どこにも変化がなく安心してください」と言われました。脳の病気は、検査してもっと良くなったということがないので、現状維持でも感謝していなければなりません。わたしは神居教会でミサをするのはしばらくぶりです。以前はミサの時、まだ両手が使えたのですが、今は片手しか使えません。「主は皆さんと共に」と言っても、手を広げて祈りに招くことができません。手抜きしている訳ではありませんが、いたしかたのないことです。
わたしたちは、一週間前の受難の主日から聖週間に入り、典礼の頂点になる聖なる過越の三日間を過ごして、今日の復活の主日を迎えました。
主イエスは死を打ち砕き、新しい生命に復活され、わたしたちと共にいてくださいます。イエスの復活は私たちの復活の初穂でした。聖金曜日の夜、作家の倉本聰さんがNHK総合テレビに出ていました。そうしたらその同じ時間帯のBSニュースで俳優の田中邦衛さんが88才で亡くなったことが報じられていました。誰もが年を取り、死に向かっています。わたしたちには、死後にもう一度もらえる新しい生命があります。キリストの復活はこの新しい生命の大きな喜びと希望になります。
むかし、アメリカの田舎町の牧師さんの息子が死を体験し、あとでそのときに体験したことを家族に話したことが、「天国は本当にある」という本になり映画化されました。3歳の男の子が天国で体験したことの中で、本人が知りえなかったこと、パパのおじいちゃんやママのお腹の中で亡くなったお姉ちゃんと会ったことを話します。向こうでは、待っていてくれるたくさんの人がいたこと。そして、おじいちゃんの写真を見せるとこんな人ではなかったといい、おじいちゃんのもっと若い頃の写真を見せたら、この人だったと証言しました。天国では、眼鏡の人も老人もいなかったみたいです。復活の新しい生命には、病気の人や老人は誰もいないのです。わたしは、自分が、身体が不自由なので、新しくもらえる生命が若々しい元気な生命になることを嬉しく思います。キリストの復活はわたしたちの新しい生命の希望になります。

今日の第二朗読でパウロは「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい」と言っています。キリストは復活して死を打ち砕き、わたしたちの中においでになります。上にあるものを求めることは、この世の価値観と違う物差しを持つこと、価値判断を持つことです。キリストの眼鏡をかけるなら、お金や健康や名誉などは色褪せて見えるかもしれません。人の上に立つことより、聖ヨセフのような目立たない生き方にも価値があることに気づくかもしれません。上から目線は偉そうな見方ですが、わたしたちはキリストの目線でキリストに従って歩んでいけたらいいと思います。


小聖堂近くで待機なさる笑顔の山本孝神父様


2019年6月9日聖霊降臨の主日の司式をなさってからしばらくぶりの神居教会での司式です。
ドミニコ神父様とともに第1奉献文(ローマ典礼)を読まれました。お二人ともお元気です。


天国は、ほんとうにある
Heaven is for Real