平成がまもなく終わり新しい元号の令和が始まります。先日、天皇陛下が「平成の時代に戦争がなかったことが嬉しい」と発言されていました。今から54年前、1965年に教皇パウロ6世はメンセ・マイオという回勅を出されました。これは聖母月に関する回勅でした。この回勅では、聖母月は特別の祈りの時なので、とくに現在の教会のためと世界平和のために祈ってほしと要望していました。1965年は、公会議が終わったばかりで、教会はいろいろな問題を抱えていました。また、国際情勢は、二度の世界大戦の辛い教訓から何も学ばなかったかのように、異なる見識間における紛争を解決するために交渉ではなく武器に頼るという危険を冒していました。この回勅から54年たった現代でも、教会は様々な問題を抱え、国際情勢も自国第1主義の国が多くなり、平和とは程遠い状況にあります。人間は何時までたっても何も変わらない進歩しない生き物だと思います。今年のGWは10連休で嬉しいかもしれませんが、聖母月に入ったので、聖母を通してたくさんの祈りを捧げてください。ロザリオの祈りをたいせつにしてください。
今日、復活節第二主日は「神のいつくしみの主日」です。この主日は、教皇ヨハネパウロ2世が2000年から復活節第2主日に、神のいつくしみにたいする特別の信心を行うように望まれて付け加えられた祝日です。教皇フランシスコは4年前の2015年12月から一年間を「神のいつくしみの特別聖年」にして、いつくしみを証しするカトリック教会の使命を強調するための年とし、「誰も神のいつくしみから排除されることはないのです」と呼びかけました。
復活節第二主日の福音は、A年B年C年ともいつも同じ、復活したイエスが最初に弟子たちに姿を現した箇所です。救いのわざは神のいつくしみの最高の表現になりますが、今日朗読された福音では、弟子たちに現れたイエスは「平和があるように」「聖霊を受け、人を赦しなさい」といわれています。また最初の出現の時にいなかったので、どうしても信じられなかったトマスには自分のわき腹の傷跡を見せて「信じない者ではなく、信じる者になるように」といわれました。トマスは強い疑いの心を抱いていたにもかかわらず、傷跡にふれることなく「わたしの主、わたしの神よ」と告白しています。イエスは受難の時に自分を残して姿を消した弟子たちを咎めることはなく神のいつくしみの心を示しています。弱い弟子たちでしたが聖霊降臨後には勇敢にイエス・キリストを証しします。聖霊降臨の時「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日には3000人が仲間に加わった」(使徒2.41)。一日で3000人ってすごいと思いませんか。また「ペトロとヨハネの語った言葉を聞いて信じた人々は多く、男の数が五千人ほどになった」(使徒4.22)。このような記述もありました。
ここ数日、ミサの第1朗読は『使徒たちの宣教』が続いていたので、わたしは、この数字はいわゆる「主催者側発表」ではないかと勝手に勘ぐっていました。先日、ちょうど、朝飯にサバの味噌煮を食べていたとき、あの数字はやっぱりサバ読んでいると思ったのです。サバ読むの語源は、魚のサバは傷みやすく数も多かったため早口で数えられ、実際の数と合わないことから、いい加減に数を数えることを「鯖を読む」と言うようになったらしいです。みなさん、年齢や体重をサバ読むのは控えましょう。裁かれないために。 *(5)