今日の福音は、「イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を”霊”によって引き回され、40日間、悪魔から誘惑を受けられた」と書かれたところから始まっています。イエスは、自分からではなく、神の霊に導かれて荒れ野に行き、悪魔の誘惑を受けます。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」と言われた神が、なぜ愛する子を荒れ野に追いやって試みにあわせたのでしょうか。ある学者は、これは主権の闘いであったと言います。イエスがこれから公生活に入っていくとき、だれがイエスの主権者になるかという闘いでした。イエスの三つの試みは、どれもが栄光の道への誘惑でした。石をパンに変えることは栄光のメシアであり、政治権力を自分の手に握るのも、神殿の真ん中で大きな奇跡を行うのも、栄光のメシアでした。経済的、政治的にすぐれた人物として現れたらどうかというのが、悪魔の誘惑でした。しかし、神が計画していたのは、神の小羊、苦難の僕としてのイエスでした。

ある本に(なんか気分が晴れる言葉をくださいー聖書が教えてくれる50の生きる知恵より)。こんな話が出ていました。 Qうまい儲け話はありませんかね? Aもし、知っていたら教えません。 『義父は面白い人だった。生前、金融商品や不動産など「絶対もうかるから」との誘いの電話が来ると、「君、そんなうまい儲け話を他人に言ってはいけない。自分でやりなさい」と言って電話を切っていた。儲け話は子どもにも言わない。まして、赤の他人に言うはずがない。うまい「儲け話」はあなたの耳に入った段階で、あなたが「損をする話」に変わります。いつの時代も「手」を使って、コツコツと積み上げる人に、金はよってくるようです。』「財産は吐く息よりも早く減っていくが、手を持って集めれば増やすことができる(箴言13.11)」

世の中にはうまい話しに騙される人がたくさんいます。悪魔も、詐欺師も巧妙です。悪魔は少しだけ、みんなが…、こういう世の中だから…といろいろと誘ってきます。イエスは荒れ野での悪魔の誘惑を旧約聖書の申命記のことばで退けています。今日の第二朗読で、パウロは「み言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」と旧約聖書のことばを引用して話しています。み言葉はみなさんの心に口に何か上ってきますか?荒れ野でイエスは悪魔の誘惑をみ言葉によって追い払いました。自分は神の言葉を頼りにして、それで決断することがあるかどうか考えて見ましょう。みことばがすぐに出てこない人でも、神の前に自分をおいて祈る人に神は答えてくれて、導いてくれます。まず祈ること、神の前に自分をおいてからすべてを始めることを四旬節の間に心がけたらどうでしょうか。マザーテレサは『わたしたちは神の声に耳を傾ける必要があります。大切なのは、わたしたちが話すことではなく、神が私たちに言われること、わたしたちを通して語ることだからです』と言っています。イエスは公生活の最初の40日を、独りで沈黙のうちに過ごされました。一日を祈りではじめ、祈りで終えてください。祈ることからすべてを始めてください。祈りによって心が柔らかく、大きくなります。沈黙と祈りから信仰への道が始まります。静かな沈黙の時間、自分と神だけの時間をとることは大切なことです。四旬節の間に自分がもっと神と親しくなれること、深い関係になれる方法を探してください。深い神体験は、わるい誘惑、ごまかし、誘いをはね返えしてくれます。       *(5)

塩谷 直也著(保育社)
なんか気分が晴れる言葉をください