毎年、四旬節第二主日には主の変容の個所の福音が朗読されます。この変容のできごとは、イエスが最初に受難の予告をしたすぐ後のことでした。群衆も弟子たちも、自分たちがイメージしていたメシアと、あまりにも違う受難を受けるメシアのことが理解できず、ペトロはイエスを諌めたため、『サタンよ、引き下がれ』と叱られていました。イエスは12人の弟子の中からペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人を選び、ご自分の復活後の栄光の姿を彼らに示したのです。変容の出来事は、弟子たちに、苦難の後に神と共に生きる素晴らしい世界が待っていることを少しだけ見せてくれた出来事でした。この世界にはまだまだ憎しみや争いがあります。わたしたちの人生には困難や逆境、苦しみが多いのも事実です。しかしそれがいつまでもわたしたちを閉じ込めてしまう暗闇ではありません。わたしたちは今この世を旅しています。「わたしたちの本国は天にあります」。

わたしの机の上に「ほんとうに大切なこと」という渡辺和子シスターの日めくりカレンダーがいつものっています。しばらくめくっていなかったので、きのう見たら、「面倒なこと嫌いなことが、人間の幸せの素」という言葉のページのままでした。そして小さい字で、『異物から真珠を生み出す真珠貝のように、生活に侵入してくる「異物」の一つひとつを排斥することなく、しっかりと自分の心の中に受け容れ、あたためて真珠を生み出しましょう』と書いてありました。18世紀にレデンプトール会を創立した聖アルフォンソ・デ・リゴリという教会博士は、神にあって「苦しみ」の価値の尊さを終始訴え続けた聖人でした。聖アルフォンソは『侮辱、貧困、苦痛、その他ありとあらゆる艱難は、それが神を愛することを知らない人の上に降りかかるときは、ますます神から遠ざかる機会となりますが、同じことが神を愛する人の上に起こるときは、もっと神とかたく一致し、もっと神を愛する動機になります』と言っています。

昨日、六条教会(※)の100歳の方の葬儀がありました。その一週間前には、旭川で看護師として長年働いていた方の葬儀があって、わたしは富良野まで行ってきました。その方は昭和25年生まれでわたしより若い方でした。神様に呼ばれる順番はあってないようなものです。わたしたちの本国は天にあることをしっかり心に据えて生活していきましょう。イエスは苦しみの先に栄光があることを変容によって教えてくれました。みなさん、自分の人生の残り少ないことを考えましょう。自分の人生を無駄に過ごすことなく、しっかりゴールを目指して生きていきましょう。祈るなら大切なことがはっきり見えてきます。

四旬節なので、毎日1ミリでも神さまに近づくように心がけましょう。イエスは祈るために山に登り、祈っているうちに栄光の姿に変わりました。わたしたちが祈るなら、人の思いをこえた神の望みや計画を知ることができます。また、雲の中から「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という声が響きました。イエスに聞くために毎日5分でも聖書を開きましょう。みなさんが新聞やテレビに使っている時間の何パーセントかを、みことばを聞くほうに回してください。「四旬節・愛の献金」もコツコツと貯めていきましょう。*(6)
(※)カトリック旭川六条教会


「ほんとうに大切なこと」
渡辺和子シスターの日めくりカレンダー