ローマ教皇は毎週の水曜日の一般謁見で、テーマを決めてカテケーシス(教会の教えの解説)をしています。最近はミサ聖祭について話され、先週は「福音朗読」と「説教」についての話でした。教皇は、典礼の中でキリストが福音を告げているので、ミサに与るわたしたちはそれに答えなければならないと話されました。そして説教者に対しては「イエスの代弁者として、イエスの言葉を説教するように。そしてそれはよく準備された明快で短いものでなくてはならず、10分を超えないことが望ましいと話されました。その前の週は「信者はみ言葉を耳で聞くだけでなく、それが実を結ぶようにしなくてはならない。」と言われ、「耳で聞いたみ言葉が心に移り、次に心から手に移り、良い業となっていくように」と言われました。
今日の福音はイエスが重い皮膚病の人を癒した話です。イエスのころの「重い皮膚病の人は」治る見込みがなく、社会から追い出され、心と体に重い十字架を負わされていました。イエスは律法に縛られることなく、その人に触れ彼をいやします。わたしたちはどうでしょうか。誰かを助けるために手を差し出す時、イエスのように、深く憐れんで手を差し出すことがあるでしょうか。イエスは「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と言われました。この最も小さい者の中に、キリストを見出した聖人はたくさんいました。マザー・テレサは毎朝のミサでご聖体拝領をし、街の中の最も貧しい人を通してもう一度キリストと出会っていました。聖ジェラルト・マイエラという聖人は、「ご聖体は見えないキリストであるように、貧しい人と病人は見えるキリストです」と言っています。
今日はルルドの聖母の記念日で、世界病者の日です。わたしは2度ルルドに行ったことがあります。2度目は車椅子を押してもらっての巡礼でした。この時はたくさんの恵みを感じました。ルルドは病人がたくさん集まる聖地です。病人が皆いやされることはありませんが、どの病人も心のいやしをいただける場所です。ルルドでは聖体顕示や聖体行列、ロザリオの祈り、ローソク行列、信者同士の仲間意識、ひっきりなしに行われるミサなど、信仰を深め、神と出会うための多くのものが用意されています。ルルドでわたしは本当に大事なものは何かを教えてもらえたような気がしています。 (でも、マリア様は冷たい泉ではなく、温泉を・・・)
神は死者の神ではなく、生きている人の神です。病人のために祈ることは大切なことです。これから神様のところに向かう人たちのために祈ることは大切です。ポルトマウリチオの聖レオナルドという聖人は、死の前の一回のミサは死後の多くのミサよりも有益であるといいました。聖アンセルモは、ある人自身のために存命中捧げられた唯一つのミサは同じ意図で死後に捧げられる1000回のミサよりも価値があると言っています。もちろん死者のために祈ることは善いことですが、今生きている人を大切にすることを考えるべきです。わたしたちの近くにいる病人が、人生の目的と本当に大切なものに気づくことができるようわたしたちは手助けしましょう。また、今日は自分の人生についても考えてみましょう。
夜のニングルテラス(富良野)↑
富良野へ向かう夕暮れ ↑
撮影・提供 山本司祭