イエスはカファルナウムで、シモンとアンデレの家に行ってシモンのしゅうとめの熱を去らせ、夕方には病人や悪霊に取りつかれた者を家の戸口でいやし、さらに朝早くからは人里離れた場所で祈って、次なる宣教の場所へ赴いています。わたしはイエスが朝早くまだ暗いうちから人里離れたところに行って祈り、その後で「近くのほかの町や村へ行こう。そこでもわたしは宣教する。そのためにわたしは出て来た」と言われる箇所が好きです。深い祈りがあったからこそ、イエスは自分がどうすべきかを決断できたのです。

寝る間も惜しんで宣教するイエスに、病気をいやされた人はきっとたくさんいたはずです。熱に悩まされていたシモンのしゅうとめは、いやされてから一同をもてなしました。シモンのしゅうとめのもてなしは、日常の務めを超える奉仕でした。わたしたちは、自分のことだけで手いっぱいになっていないか、考えるべきです。イエスは場所を選ばず、昼夜を問わず、あらゆる形で宣教し続けます。そのためにわたしたちの協力を必要としています。だれもが「自分たちはみな、通常の生活の上にさらに何時間かイエスの宣教活動のお役に立てる時間を持っている」と考えるなら、今の時代にもイエスはわたしたちを使って存分に宣教の実りを生むことができると思います。昨日は昨年列福された福者ユスト高山右近の記念日でした。またあす5日は日本26聖人の祝日です。高山右近も日本26聖人も殉教者の証しをするだけでなく、まわりの多くの人々に影響を与えました。イエスはわたしたちの協力を必要としています。わたしたちのうち何人かが「教会のために働いてもいいですよ、イエスさまのために働けますよ」と名乗りを上げてくれるなら、ここの小教区はもっと変わっていけるはずです。

先週の月曜日、ローター神父さまが89歳で亡くなられました。1952年にドイツで司祭叙階され、その翌年日本に来られたので今年は来日65年目でした。わたしはローター神父さまとは一緒に暮らしたことはないのですが、会議や黙想会の時、彼のよく祈っていた姿を見ました。そして本当に良い宣教師として、長いあいだ働かれました。どんなに時代が変わっても、神様のために一生懸命働く人が必要です。先日、わたしは、面白い記事を読みました。最近、フランスでは、ミサの時に献金かごが会衆席に回され、信者たちが小銭や小額紙幣を入れるおなじみの光景が変わってきて、電子マネーを使える教会が多くなっているそうです。現金を持ち歩く人が減ってきているので、このシステムを取り入れた教会の献金額は以前よりずっと増えているそうです。ローター神父さまの葬式の時、わたしは火葬場の売店で買い物をしました。その時わたしは、最近何かと話題になっている仮想通貨こそ火葬場にふさわしい通貨だと気づきました。自動車の自動運転や、電子マネーや仮想通貨など、世の中がどんどん進化し、時代は変わっていきます。でも、福音が人を介して伝わることは変わりません。神さまから受けている恵みに気づき、周りの人に奉仕し、さらに他の人を動かす影響力のある人が現代に求められていると思います。

おまけ*世の中に追いついていけないと思った人の作った川柳* 「AIに勝つには電気抜けばいい」