みなさん主のご降誕おめでとうございます。わたしはここの神居教会でクリスマス・ミサをできる事を嬉しく思っています。昨年、わたしは美唄教会の屋根裏に、ずっと昔から使われていなかった壊れたクリスマスのご像があったのでもらってきました。今年はさらに博士たちのご像をもらってきて修理してもらい、どこの教会の馬小屋セットよりも立派なものが出来上がりました。

今日はたくさんの方がこのミサに参加されています。クリスマスという言葉はキリストのミサという意味です。ですからミサに出て、神さまが救い主をこの世に送ってくださったことを感謝することがクリスマスの最もふさわしい過ごし方と言えます。

最初のクリスマスは約2000年前にユダヤのガリラヤ地方にヨセフとマリアという若い夫婦がいて、旅先のベツレヘムで初めての子どもが生まれ、宿屋が満員だったので家畜小屋の「飼い葉桶」の中に寝かされた。その夜、野宿して羊の番をしていた羊飼いたちには天使からの知らせがあった。そういった地味で落ち着いた出来事でした。

キリストの誕生は神によって準備されていましたが、マリアとヨセフという夫婦の神に対する従順によって可能になりました。イエスと名づけられた赤ちゃんは、30歳を過ぎてから、人は神に対してどう生きるかを教えるようになり、十字架につけられて殺されます。しかし死が終わりではないこと、永遠のいのちのあることを自らの復活によって証明しました。キリスト教はイエスの死と復活の後で成立していきます。ですからキリスト教が誕生したばかりのころは、イエスの誕生のことよりは、受難と死と復活をいわう復活祭が大きく祝われていました。キリスト教に対する迫害が終わり、少し落ち着いてきてから、ローマの宗教の太陽神のお祭りの日を、キリストの誕生を記念する日として祝うようになりました。人は誰かを愛し大切に思うようになれば、その人の傍にいたいと思います。神さまも人を愛し人と近くなるために自らが人となってくださいました。クリスマスは神の愛の祝日です。そして人となられた神の子キリストは、人はどう生きるべきかを教えてくれました。今の世の中は、自分さえよければいいと考える人や国が多くなっています。先日、東京、南青山の児童相談所建設計画に地域住民が反対しているニュースがありました。包容力というか人間性の乏しい人がどんどん増えてきているように感じます。

人の心は受けるより与えることによって、より豊かに成長していきます。神さまはそのおん独り子をわたしたちに与えてくれました。

クリスマスにケーキやご馳走を食べて「おめでたい」と言っているだけでなく、わたしたちも自分の幸せを人に伝えていく使命をうけていることを考えましょう。ある神父がこんなことを書いていました。「クリスマスは今日で終わるわけではありません。わたしたちの心に愛が生まれ、それが笑顔や思いやりになってこの地上に姿を表すなら、毎日がクリスマスなのです。愛が生まれる日それがクリスマスなのです」(こころの深呼吸・片柳弘史)                          *(ka)

 

片柳弘史司祭著 『こころの深呼吸』