みなさん、主のご降誕おめでとうございます。先日、クリスマスの三回のミサはどれも同じですか?と聞かれました。教会は24日の夜半にするミサ、真夜中にする早朝のミサ、25日の日中にするミサは、どれも朗読箇所の違うミサを用意しています。いまここでしているミサは早朝のミサです。このミサの福音は夜半のミサの続きで、羊飼いたちが天使の知らせを聞き、かいば桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた箇所です。バチカンでは毎年、真夜中に教皇による荘厳ミサが行われています。いま日本では早朝のミサをする教会が少なくなりました。ミサは司祭の大事な仕事です。わたしは♪しずけき真夜中♪と聖歌を歌っているのだからできるだけ、真夜中のミサを大切にしていきたいと思っています。わたしはもう50年も前ですが、高校2年生の時に教会に行き、初めて侍者をしたのがクリスマスの真夜中のミサでした。その頃は復活徹夜祭も真夜中にやっていたので、洗礼も復活祭の真夜中のミサの中で受けました。

ユダヤ人が熱烈に待望していたメシアは、なんのまえ宣伝もなくひっそりと誕生しました。偉い人が来れば大騒ぎになります。以前、北海道で洞爺湖サミットが開かれたとき、道外の警察が応援にきていて、いろいろな県警のパトカーを見ました。救い主の場合は、人に知られず、目立たず、こっそりと来られました。この方法で、今もキリストはわたしたちの近く気づかないところにこられます。キリストは小さくなってわたしたちの近くにおられます。わたしたちは心の目を開かなければキリストに出会えません。

羊飼いたちは天使の言葉に従って出かけ、その幼子こそ自分たちが待ち望んでいた救い主であると信じました。このように、ある出来事の背景にどんな意味があるか、それを見分けるのはひとえに信じる心をもつかどうかにかかっています。出来事を通して実現していく神の計画、はからいに気がつくなら、わたしたちは大きな喜びを手にすることができます。そしてそれを周りの人にも伝えたくなります。

救い主の誕生の知らせを天使から聞き、マリアとヨセフ、飼い葉桶に眠るイエスのもとに集まった羊飼いたちは、喜びに溢れ、神をほめたたえ、このことを多くの人に知らせました。喜びの知らせは彼らを通して、さらに周りの人々に伝えられていきました。幼子イエスが生まれたという出来事は、すべての人に神さまの愛があらわれた日です。

日常のなんでもない生活の中で、感謝できること、ありがたいこと、嬉しいことをたくさん見つけることのできる人は幸せな人です。幸せな人、上機嫌な人がひとりいれば、まわりの人にも良いものが伝わっていきます。

神はわたしたちとよりよく出会えるように、自らが小さくなられました。わたしたちは小さくなられたイエスを見つけなければなりません。イエスと出会うためには素直な心が必要です。そして、威張った人、傲慢な人、自分のやり方を押しつける人、自分の中に閉じこもる人は、イエスと出会うことも見つけることもできないのです。      *(5)