「主の道を整え、その道筋をまっすぐにする」ために遣わされた洗礼者ヨハネは、人々に悔い改めにふさわしい実を結ぶように説きました。民衆が「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねたとき、彼は自分が行っていた厳しい禁欲生活を勧めたのではなく、それぞれが置かれた日常の生活の場で行なうことができる事を指示しました。豊かな人は貧しい人のことを、持っている人は持っていない人のことを考えるように、徴税人や兵士たちには権力をかさに着て自分より弱いものをいじめないように言いました。

今日の待降節第三主日は伝統的に「喜びの主日」といわれています。典礼は第一朗読も、答唱詩篇も喜びがテーマです。第二朗読ではパウロは「主において常に喜びなさい」と勧めています。福音では洗礼者ヨハネが、救い主がすぐ近くまで来ておられるという喜びの雰囲気の中で、「悔い改めにふさわしい実を結ぶように」教えています。

それでわたしは今日、「喜び」について話そうと思います。先月、わたしはあるグループの研修会で、鈴木秀子シスターの本(今、目の前のことに心を込めなさい)に、「寝る前に、今日あったいいことだけをメモしてみる」という箇所があったので内容を紹介しました。それは、毎日寝る前に、今日一日を振り返って、嬉しかったこと、感動したこと、良かったことなどを小さな手帳にメモをとることでした。三分を超えないで、反省や否定的なことは書かず、いいと思ったことだけを書く、一ヶ月ほどたったら、書いたものを見てみる。そうすると「なんと平凡な当たり前のことが書いてある」と気づきますが、同時に、じぶんがとても生きやすくなっていることに気づくはずです。そして毎日がなんだかいい気分で過ごせるようになったと感じます。という内容でした。わたしも鈴木シスターの勧めを実行しています。メモはとってないですが、毎晩寝る前に、感謝すること、嬉しかったことをたくさん探しています。そうしたらなんか心が変化してきて、生きやすくなったというか、心が軽くなってきたように感じています。この研修会のしばらく後で、ある方から、『自分は親の介護でくたびれ、もう耐えられない状態でしたが、鈴木シスターの勧めを実行してみたら、今はたいぶ楽になってきました』。と電話をもらいました。日常生活の嬉しかったこと、良かったこと、感謝できることを探すだけで、わたしたちの心は成長していくことができます

教皇フランシスコは「福音の喜び」という使徒的勧告で、喜びについてたくさん書いています。「イエスのメッセージは喜びの源です」「キリスト者であるわたしたちの喜びは、喜びに満ち溢れるイエスの心の泉から湧き出てきます」。「喜びのない人は「復活なしの四旬節を生きているような信者」です。「わたしに言えるのは、わたしが人生において見てきた、もっとも美しく自然な喜びは、固執するものをもたない貧しい人々のうちにあったということです」。キリスト信者の根本には喜びがなければなりません。パウロは、主はすぐ近くにおられるから喜びなさいといいます。日常生活はつらくて苦しくてたいへんでも、主に結ばれて嬉しいこと感謝すべきことをたくさん見つけてほしいと思います。*(6)

鈴木秀子著
今、目の前のことに心を込めなさい

 

教皇フランシスコ著
使徒的勧告 福音の喜び カトリック中央協議会