今日の福音はイエスの到来を準備した洗礼者ヨハネのことが書かれ、イエスの言葉は一言も書かれていません。福音書を書いたルカは、洗礼者ヨハネが宣教活動を始めた時期がわかるように、ローマ皇帝やユダヤ総督ピラト、当時の大祭司の名前を上げています。この当時ユダヤはローマ帝国の支配下におかれ、権力者が弱者を虐げていました。そんな時に洗礼者ヨハネが現れ、救いを待ち望むなら、まず悔い改めなさい。今の生活を見直しなさいと告げたのです。これを今の時代におきかえれば、ローマ教皇がフランシスコ、トランプがアメリカ大統領、プーチンがロシアの大統領、マクロンがフランス大統領で、日本の首相が安倍晋三の時、神のメッセージが伝えられた。と書いているようなものです。そして、みんなが、自分だけ、自分の国だけの考えを捨てなさい。地球規模で異変が起きている。経済的豊かさだけではなく、愛がなければ人間に本当の幸せはこない。わたしたちは洗礼者ヨハネのように、このことを人々に伝える役割を持たされていると思います。

わたしは先日、桜井和馬という写真家の「和解への祈り」という写真集を見みました。作者は、「過激派のテロ事件や、排他的な右翼政権が各国で誕生し、世界は急速に「不寛容」な時代を迎えようとしている。不寛容が一気に世界を蔽いそうな今だからこそ、わたしたちは和解の意味をもう一度噛みしめる必要がある」と写真集を作った動機を述べ、世界中の巡礼地や祈りの場所、そこで祈る人を撮った写真集を出版したのでした。  わたしたちは、神の国のメッセージを少しでも伝える人にならなければなりません。今の時代は少し危ない、この先どうなってしまうのかを考えなければなりません。先日、ことし流行った流行語大賞に、北海道北見出身のカーリング選手たちが使っていた「そだね」が選ばれました。NHKの「チコちゃんに叱られる」の「ぼーっと生きてんじゃないよ」もノミネートされましたが、大賞は逃しました。

わたしは今、あまりにも何も考えていない、自分の行く末さえも考えないで、やれ忘年会だ、やれ年末ジャンボ宝くじだと、浮かれている人に向かって、「ぼーっと生きてんじゃないよ!」と叫びたくなります。

洗礼者ヨハネは『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』と荒れ野で叫ぶ者でした。聖書で使われている「道」という用語は日本語の「道」と同じようにいろいろ深い意味を持っています。間違った道、正しい道もあります。救いに通じる道も滅びに通じる道もあります。日本語の「道」も道徳、道場、修道院、道理などと使われ、茶道、剣道、華道、柔道などと使われたときは、単なるおけいこ事ではなく、きわめつくせない奥深いものになります。キリストの道を歩む者はいつまでも求道者でなければなりません。またわたしたちは洗礼者ヨハネのように人々がキリストと出会うための道を準備するもの、道を指し示す者にもなっていきましょう。        *(5)