わたしは昨日の朝、伊達のカルメル会修道院でミサをしてきました。カルメル会修道院にはいつも室蘭の神父さんがミサに行っているのですが、教会学校の合宿があって修道院に来れないので、代わりにミサをして欲しいと頼まれて行ってきました。カルメル会のシスター方はミサを大切にしています。ミサは誰がどこで行っても、カルワリオの丘での唯一の奉献で、いけにえを捧げるのはキリストご自身なのです。

昨日は、聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネ司祭の記念日でした。この聖人は「アルスの聖なる司祭」と呼ばれ、フランス革命の後、人心が荒廃していた時代に、アルスという小さな村で(人口は230人)、熱心な説教、苦行、祈り、愛によって人々の心を神に立ち返らせました。聖ヴィアンネは、「ゆるしの秘跡の殉教者」とよばれています。全国からゆるしの秘跡をうけるために人々が押しかけ、一日17時間も告白場にいたそうです。また彼は聖体におけるキリストの現存に特に心をとめていました。聖ヴィアンネは「どんな善行を全部寄せ集めてもミサ聖祭には及びません。善行は人間の業であり、ミサ聖祭は神さまの業だからです」と言っています。また聖体について、「被造物はすべて生きるために食物を摂り、霊魂も食物を摂らなければならない。霊魂は神様によってしか養われないので神の御体と御血が霊魂の食物となる」と説明しています。

今日の福音でイエスは、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と言っています。わたしたちは、この世の命を維持するためにいろいろ気を遣います。さまざまな健康食品やサプリメントを飲み、食事も栄養のバランスを考えます。いずれ消えていくこの世の命のためにみんな気を遣います。同じくらいにもっと大事な命のことに気を配らなければなりません。いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物は、神のパンで天から降ってきて世に命を与えるパンです。それは聖体です。ご聖体は永遠の命の保証です。聖体の秘跡は、どんな人間にもいつかはかならず訪れる死、この死から人間を過ぎ越させて、神とともに永遠に生きるように導く糧です。元気なうちにぜひこのパンをたくさんいただいておいてください。

先日、日野原重明さんの「いくつになっても今日がいちばん新しい日」という本を読んでいたら、転ばぬ先の住まいづくりという見出しがありました。わたしはこの先生がキリスト信者なので、てっきり、これから先 死んだ時に天に迎えてもらうために心がけておくことが書いてあると思ったのですが、内容は、家庭での高齢者の事故死と、これから先、高齢者が家の中で安心して生活するために、住居の手直しと工夫が必要なことが書かれていました。段差のない床、手すりや敷物のこと、さらにトイレ、階段、台所の電灯の明るさなどは大切なことだそうです。この体だけでなく、死のあとに続く新しい体のための配慮も大切です。

聖体は永遠の命の糧です。聖体の秘跡は、死者の中から復活された救い主イエス・キリストの命であり、人間の「自然の命の体」を「霊の体」に変容させて、神とともに永遠に生きる恵みへとわたしたちを導く糧です。*(0)