神のお告げの祝日は、本来は3月25日に祝われますが、今年はその日が聖週間の受難の主日と重なったため、今日記念しています。わたしたちは毎日の「お告げの祈り」で、み言葉が人となられたことを考えます。また、ロザリオの祈りの喜びの玄義でもお告げのことを考えます。今日は、キリストと聖なる乙女マリアをともに祝う日です。マリアの子となったみ言葉と共に、神の母となったおとめマリアが同時に祝われる日です。この祭日は、東方教会を起源として“聖母の祝日”とされていましたが、ローマ典礼暦の改正のときに、キリストがおとめマリアの胎内に宿ったことを記念するために、主キリストの祭日として祝われるようになりました。
わたしはお告げのことを考えるとまず思い浮かぶのが、「お言葉どおり、この身になりますように」という言葉です。わたしたちが聖母のように、神の望みに対して、いつも「そうなりますように」という心構えを持つなら、神の計画はどんどん実現していくはずです。でも、わたしたちはそんなに素直でないので、神の計画を遅らせていると思います。
今日は、信仰をもってみ言葉を受け、胎内にキリストを宿された母マリアと、神が人となられたたことを、考え、感謝します。第二バチカン公会議の『教会憲章』は、マリアの徳について述べています。そして、キリスト者がマリアから学ぶ徳は ①:神の言葉を心に納める態度 ②:神の招きに「はい」と答える態度 ③:キリストのように奉仕する態度の三つです。まず、マリアは、一生をかけて神の言葉を受け入れ、観想した信仰者でした。受胎告知から十字架の下に至るまで、マリアはいつも「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」(ルカ2・19)のです。次に、マリアはいつも神に「はい」と答える準備ができていました。ヨセフが夢でお告げを受け、幼子を連れ直ぐにエジプトに逃げると言った時には、「こんな夜中になに寝ぼけているのか」などと不平を言わず、すぐに従いました。エリザベトを訪問したときも、すぐに動いているようです。また、カナの婚宴の時には細かく観察し気遣いのできる人でした。
マリアはいつもキリストと共に、わたしたちの救いとともにおられる方です。わたしたちはマリアを通してキリストをいただきました。キリスト信者の中にはマリアのことにあまり関心のない人もいます。でも、わたしたちは「マリアを通してキリストへ」近づきます。多くの聖人たちはマリアが大好きでした。聖ベルナルドは、海の星としてのマリアを観想し、「もし誘惑の嵐が起こるなら、もし苦難の岩にぶつかるなら、星に注目し、マリアを呼びなさい」と言いました。それから、ロザリオの祈りは教会が推奨し、マリアと共にキリストを観想する優れた祈りです。大切にしましょう。神の呼びかけにマリアのように「そうなりますように」と答えることは、受け身であると同時に、信頼してお任せする態度です。わたしたちはいつも、神が望むなら「そうなりますように」と言える素直な心を持ちたいものです。