今日は全教会の保護者聖ヨセフの祝日です。聖母マリアを除いてはナザレの聖ヨセフのように、神の救いの計画に深く参与した人はおりません。しかしこの聖人は目立たない地味な聖人です。福音書に最後に登場したのが今日読まれた箇所ですがヨセフの言葉はありません。教皇ヨハネ・パウロ二世は1991年に『救い主の守護者聖ヨセフ』という使徒的勧告を出しています。教皇は、教会は内部の問題だけでなく、家庭、社会、国際関係などのさまざまな問題をかかえて、困難に直面している。それを乗り越えるためには聖ヨセフの保護と導きが必要。信者一人ひとりが聖ヨセフを模範と仰ぎ、与えられた自分の使命を忠実に果たすことで、人類の救いのために貢献してほしいといっています。聖ヨセフは普通の社会人として特に目立った働きをしたわけではありませんでした。しかしキリストの大事業を支えた機械の部品の一本のねじのような役目を果たしています。
教皇の本の構成は
第1章 福音書の教え、マリアとの結婚。
第2章 神の神秘の守護者、この章では、ヨセフはマリアと一緒に受肉の神秘の最初の保管者になったことが書かれています。
第3章 正しい人―配偶者
第4章 労働は愛の証拠
第5章 内的生活の優位性、この章ではヨセフの沈黙について述べられています。
第6章 現代における教会の保護者 この章では教会はヨセフの保護に頼むだけでなく、優れた模範にも倣うべきです。とのべられています。
各省の見出しを見ただけで教皇が聖ヨセフをどのように見ているかがわかります。
今朝、わたしはロザリオの祈りの喜びの玄義を祈っていて、ロザリオの祈りではいつも聖母の目をとおしてイエスを見ていたが、喜びの玄義に関しては聖母の陰になりいつも聖ヨセフもいることに気づきました。聖母からお告げの話を聞かされた時彼は何を感じたのだろうか。聖母がエリザベトを訪問し何か月も自分から離れていたとき、彼はそれをどう受け止めたのだろうか。人口調査とベツレヘムの誕生のときは、ヨセフがいなければどうにもならなかったこと。割礼とイエスと命名したこと、神殿への奉献で宗教的義務を果たしたこと。神殿に残られたイエスは発見されたとき「私が自分の父の家にいるのは当たり前」と発言したことをヨセフはどのように受け止めただろうか。ナザレにおけるイエスの養育と教育にはヨセフの生き方の手本があったこと。
ヨセフは何も言葉を残していません。神のみ旨を受け入れたことでは、聖母にも劣りません。また、夫として、父親として、苦しみ悩み、辛いことも多かったと思います。教皇は聖ヨセフのことを「平凡な社会人の模範」といい、本物のキリスト者であるためには本物の徳を身につけることが大切であることをヨセフが証明してくれているとのべています。