平昌五輪も今日が最終日になりました。教皇フランシスコは、開催前の2月7日に、国際オリンピック委員会と平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックに参加するすべての選手たちに、「このオリンピックが、友情とスポーツの偉大な祭典となるように」と特別なあいさつを送っていました。

さて、四旬節第2主日には毎年、主の変容の福音が朗読されます。今年の日曜日の典礼の配分はB年なので、今日はマルコ福音書の変容の箇所が朗読されました。マルコ福音書の変容の記事は、マタイやルカ福音書に比べて短いのですが、イエスの姿が「この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった」とその白さを強調しています。白い衣は黙示録などからも天に凱旋した人々の姿を表しています。マルコによるイエスの変容の記述の中には、勝利を得た復活の主の栄光の姿がそのまばゆい白さの中に叙述され、先取りされているそうです。変容したイエスと語り合っていたエリヤとモーセは、ともに山の上で神と出会っています。わたしは先週、旧約聖書の勉強会で、預言者エリヤが自分の命を狙う人から逃れて神の山ホレブに行き、そこで「しっかりして、わたしの前に立ちなさい。わたしが通り過ぎていくから」という神の言葉を聞いた箇所を読みました。モーセはシナイ山で神に出会い十戒をもらいました。

聖書の中では、山は神と出会う場所です。わたしたちが登らなければならない山はどこにあるのでしょうか。わたしたちが登る山は四旬節という霊的な山です。先週、ふもとを離れ、第2主日のいまは、2合目が3合目あたりのはずです。霊的な山に登るには、元気な心と軽い荷物が必要です。罪やこだわり・執着が心を重くします。悔い改めて心を軽くしましょう。山の上で神と出会いましょう。そしてその後が大切です。教皇フランシスコは以前、主の変容の出来事から二つの大切なことが見えてくると言われました。それは「登る」と「下りる」ことです。わたしたちは自分自身を見出し、主の声を聞くために山に登らなければなりません。祈りの中で神と出会ったなら今度は「山を下り」低いところ平地に戻ります。平地には様々なことが待ち受けています。平地に立つことは物質的・精神的な貧困にあえぐ兄弟たちのことを考えることです。先週の23日(金曜日)にわたしたちは冬季オリンピックのことしか頭になかったかもしれませんが、教皇は四旬節第1金曜日のこの日を、全世界で紛争や暴力によって苦しむ人々、とくにコンゴ民主共和国と南スーダンで苦しむ人々のためにささげる祈りと断食の日とするよう呼びかけました。そして日本の典礼委員会から各教会に、共同祈願の意向と、「コンガ民主共和国と南スーダンのための祈り」が送られてきました。

変容の時、「これはわたしの愛する子。これに聞け」という天からの声がありました。キリストの言葉はわたしたちが、それを聞き、告げ知らせ、他の人に与えるときに、わたしたちの中で成長します。キリストの言葉に出会うために聖書を読みましょう。また、毎日少しでも読みましょう。持ち歩きましょう。