今日は年間第2主日です。今日の福音は、洗礼者ヨハネの二人の弟子がイエスに従い、さらにそのうちのひとりアンデレが自分の兄弟ペトロにイエスのことを伝えた話です。イエスは、一人ではなく協力者とともに救いのメッセージを伝えようと思い弟子たちを召し出しました。イエスはご自分についてきた二人の方を振り返り、「何を求めているのか」と言われます。この「何を求めているのか」はヨハネ福音書におけるイエスの最初のことばです。「求める」はヨハネ福音書の中で35回も使われていることばです。また二人はイエスについて行き、その晩はイエスのもとに泊まりましたが、泊まる・留まるというギリシャ語の「メノー」という言葉は、ヨハネ福音書では40回使用されているそうです。イエスが「わたしの愛にとどまりなさい」「わたしにつながっていなさい」と言ったときもメノーが使われています。わたしたちはイエスについていきます。イエスはわたしたち一人一人に「何を求めているのか」と問いかけています。皆さんはイエスに何を望んでいますか。心の平和、安心や支えが欲しい、など、人によって違うと思いますが、イエスが来られた本当の目的は、みんなに永遠のいのちを与えるためです。永遠のいのちとは神との交わりふれあいです。神はすべての人が救われることを望んでおられます。先日、わたしは「15歳のユダヤ人少年 終末の幻を見る」という臨死体験の動画をYou Tubeで見ました。この少年はユダヤ教徒でしたが、「神の言葉(律法)に従って何かしたことは、それがどれだけ小さなことであっても、天では盛大に扱われ、反対に間違った行いはとても恥ずかしく、これくらい大したことでないと思っていたことが、天では大問題だった。天に行ったら一瞬のうちにすべてが告げられた。そして自分は天に行く前に、もっと地上ですべきことがあると思ったので、まだそこに居たくないと言ったら、生き返った」と言っていました。

今日の第二朗読で、パウロはわたしたちの体は、聖霊が宿ってくださる神殿であると言っています。今この体とともにいるあいだに、わたしたちのなすべきことはたくさんあります。そしてその中の一つは、イエスを誰かに紹介する、伝えることなのです。第1朗読で少年サムエルは夜中に神の呼びかけを聞き、「主よ、お話ください。僕は聞いております」と従いました。わたしたちも「主よ、あなたのお望みは何ですか。僕は従います」と言いましょう。

昨日と今日、大学入試センター試験が行われています。受験生は、自分の目標を決めたなら、それに見合う努力をします。わたしたちは永遠のいのちを目標にします。そのために、いま必要なものと不要なものを選別しましょう。わたしたちはもの忘れしやすいのです。「あれ取りに行きこれ持ってあれ忘れ」という川柳が以前、新聞に載っていました。目標をしっかり見据えて生活しましょう。イエスは「わたしの父のみ心を行う者だけが天の国に入る」と言われました。み心に従う、み心を受け入れる、み心を愛する生き方を考えましょう。       おまけの川柳 「美人の湯個人差ありと但し書き」