主の公現は、イエスにおいて神の栄光の輝きが現れたこと、公に異邦人に対して現れたことを記念する日です。三世紀ごろから東方教会で祝われるようになりました。マタイ福音書には、現在のイランあたりの一部族であったメディアの占星術の学者たちが星をたよりにユダヤの国までやってきて救い主に出会ったことが書かれています。マタイで述べられている幼子を拝みにきた占星術の学者たちは、信仰の旅人としてキリスト者の先駆けとなりました。諸国の民が神のもとに集うという救いの時への預言がここに実現しはじめます。占星術の学者たちは、星に導かれてエルサレムに着くと、その後は聖書に導かれます。学者たちをイエスのもとに導いた夜空の星は、心を導いてくれる光、一人ひとりの心の中に働いておられる神の光です。この光、内に輝いている光に気づき、この光に導いていただけるように、信仰の目を願いましょう。

学者たちを導いた星は古来より「導きの星」と言われています。そして、わたしたちも人をキリストに案内する「導きの星」の役割を負わされています。多くの人は、わたしにはそんな役目はとても無理だと言います。でも自分が輝くのではなく、光を受けて反射することが大切なのです。そのためには長く光に向かい、エネルギーを溜め込むことが大切になります。ちょうど太陽光発電をイメージすると良いと思います。

昨日、1月6日は、11年前に亡くなられたニコラオ神父さまの命日でした。この神父さまは、名寄、美唄、旭川・大町、稚内、北見枝幸、富良野の教会で働き、たくさんの人に、神の素晴らしさと信仰の素晴らしさを伝えてくれました。わたしは1965年に、美唄教会でこの神父さまから洗礼を受けました。そしてこの神父さまの影響を受けて、たくさんの司祭・修道者が誕生し、しっかりした信者が育ちました。わたしは、この神父さまはとにかく祈る人だったので、人を導くりっぱな働きができたのだと思います。30年ちかく前、わたしはニコラオ神父さまがいた、北見枝幸教会に泊めてもらいました。朝のミサが7時だったので、わたしは6時ころ聖堂に行きました。そうしたらもう神父さまはとっくの昔に起きて聖堂で祈っていました。その次にまた泊めてもらった時、今度は負けないよう、そっと早起きして聖堂に行ったらやっぱり神父さまはもう来ていました。祈りの少ない司祭がどんな偉そうなことを話しても、薄っぺらで人を惹きつけません。自分も恩師に負けないようにしっかり祈らなければと思っています。

今日は一年の最初の日曜日です。みなさん、この一年間に誰かの役に立つこと、誰かを神に導くこと、導きの星になることを考えてください。そしてたくさん祈る人、神のエネルギーを蓄えた人になってください。教皇フランシスコは「福音化は祈ることによって行われます。神とのたえまない関わりがなければ、宣教は単なる仕事になってしまいます・・・イエスを眺めれば、すべての重要な行動や行動に先立って、彼は時間をかけた熱心な祈りに潜心しておられたことがわかります。」と説教されたことがあります。わたしたちは神からの力をもらわなければ輝けないのです。神と出会いましょう。