今日の福音にも先週の福音と同じように「ぶどう園」が出てきます。今日は、よい返事をして父の意向に沿わなかった弟と、最初は「いやです」と答え、後で従った兄の話です。イエスは、よい返事をして父に従わなかった弟は当時の社会の指導層の人たち、後で考え直した兄の方を徴税人や娼婦たちとみなしています。今日の福音の中で大事な言葉は「後で考え直して」という言葉です。ユダヤの当時の指導者たちは、ヨハネの言葉を聞いても、あとで考え直すことはしなかったのです。
今日は年間第26主日が記念されています。でも10月1日は、幼いイエスの聖テレジア教会博士の記念日です。わたしは大学1年生の時、この聖人の「小さき花」という自叙伝を読んだのがきっかけで司祭になりたいと思いました。それで、毎年、10月1日の聖テレジアの祝日には、カルメル会修道院でミサをしていました。でも、今年は主日と重なったので行けませんでした。今年はこの聖人の帰天から120年、教皇ピオ11世から聖フランシスコ・ザビエルとともに宣教の保護者と宣言されてから90年、教皇ヨハネ・パウロ2世から教会博士号を授与されてから20年の記念の年なのです。この聖人は多くの人に影響を与えました。マザー・テレサは聖テレジアの名を自分の修道名に選んで、テレサと名乗り、この聖人の偉大なところは「平凡なことを非凡な愛をこめて行ったこと」ですと言っています。永井隆博士は、晩年寝たきりになっていた時、「ばらの雨」という文章の中で、聖テレジアのことを、『彼女が病床で書いた「小さき花」という本を読むと、人間が変わります。朝の光に大きな目を開けて、にこにこしている赤ちゃんの心にまでかえります。そこに信仰の極意があるのに気づきます』と言っています。
今日の福音の二人の息子は考えてみると、どちらも不完全です。そしてわたしたちも不完全です。わたしたちキリスト信者は、洗礼の時、みんなの前で、悪霊を拒否し、信仰を告白し、生涯をかけて、神に従って生きていくことを宣言しました。しかし、その時はそういっても現実は、時々しか神さまを思い出さない、自分中心の生活になっています。父のみ旨を行う人になりましょう。いつもみ旨がどこにあるかを考えてください。時々、週日のミサで聖体拝領唱が「主よ、主よ、という人が皆、天の国に入るのではない。父のみ旨を行う人だけが入る」と読まれる日があります。わたしはその言葉を聞くといつも、酒好きな人たちのことを連想します。自分は酒を飲みませんが、酒好きの人たちは、いつも何かの理由をつけて飲みたいと考えるようです。美味しい物があれば、「これで一杯」。疲れたので「一杯飲みたい」。とにかくいつも「酒よ」「酒よ」と考え、そしていつも「酒の平和」のようです。
第二朗読でパウロは「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」と言っています。「あとで考え直す」と思っていても、後では思い出さないこともあります。なるべくこまめに神さまのみ旨を考える習慣を身につけましょう。そうすれば早く、考え直して軌道修正することができます。そして、毎日の生活の中にある、平凡なことを非凡な愛をこめて行なうことで、より神さまに近づくように頑張りましょう。