今日は年間第18主日ですが、主の変容の祝日と重なったため、典礼の規則で、主の変容が記念されます。また、今日から8月15日までは、日本カトリック平和旬間にあたっています。今年の日本カトリック「平和旬間」にあたっての司教協議会 会長談話で、長崎の高見大司教は、「強い者たちの争いで最も被害を受けるのは、いつも子どもと女性、高齢者など、無防備な人々です。福島第一原発事故の被災者、基地負担の多くを押しつけられている沖縄の人々も理不尽さを噛みしめています。こうした人々のために祈り、平和で公正な社会が実現するために、わたしたちに何ができるかを考え、実行するようにしましょう。「非暴力がわたしたちの決断、わたしたちの人間関係、わたしたちの活動、そしてあらゆる種類の政治の特徴」となりますようにと訴える教皇とともに(2017年世界平和の日メッセージ)、今年、「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ5・9)というイエス・キリストの教えを思い起こしながら平和旬間を過ごしましょう」と言っています。
今日の福音はイエスの変容の場面です。弟子たちは、イエスがご自分の受難を予告されたので、とても不安な気持ちになりました。イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山に登り、ご自分の復活後の栄光を前もって彼らに示されました。それは、彼らを信仰のうちに強め、苦しい道、十字架への道においてご自分に従うよう促すためでした。変容されたイエスは、律法を伝えたモーセと、預言者の代表であるエリアと語り合いました。そして、御父の「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者。彼に聞け」という声が響きました。御父の声が響いたとき、三人の弟子たちは非常に恐れました。御父は、「彼に聞け」と言われました。わたしたちは、「イエスに耳を傾けるよう」求められています。謙遜な心を持って、祈り、み言葉を黙想して、イエスの声を聞きましょう。
主の変容の出来事には、「登る」と「下りる」という二つの大切な動きがあります。わたしたちは人々から離れ、山に、すなわち沈黙の場所に登り、主の声をよく聞き、主と出会わなければなりません。しかし、ここにとどまってはなりません。祈りの中での神との出会いは、新たに「山を下り」、低いところに、平地に戻るようわたしたちを促します。わたしたちは日常の現実の場所で、労苦、病気、不正など、物質的・精神的に苦しんでいる多くの兄弟と出会います。これらの兄弟に、神とともに体験したことの実りを伝え、受けた恵みを分かち合うよう招かれています。わたしたちがイエスのことばを耳にし、これを聞いて、心に保つことで、このことばは成長します。イエスのことばは、他の人に与えることによって成長していきます。
先週、第3次安倍改造内閣の閣僚人事が発表されました。これで、安倍政権は何か変わるかもしれません。しかし、「本の表紙だけ替えても、中身が変わらなければダメだと」言う人もいます。わたしたちもイエスと出会って、中味を改造してもらいましょう。そして、他人から「あの人は少し変よ」と思われるように変容したいものです。 (今日のミサに出ているスカウトのみなさんは、いつもリーダーや指導者の言うことをよく聞く良いスカウトでいてください。)