今週の福音は、マタイ13章の神の国のたとえ話のまとめにあたる部分です。「畑に隠された宝」と「高価な真珠」のたとえはよく似た話です。今日は宝を見つけることについて話します。わたしは、「開運!なんでも鑑定団」というTV番組をよく観ます。家に眠っていたり、捨てようと思っていたものに、高価な値段がつくことがあったり、大切に保管していたものが偽物だったりするところが面白い番組です。つい先日(25日)には、実家の仏壇から古びたボロボロの巻物が出てきて、鑑定団にだしたところ、300万円の鑑定結果が出ました。素人には何の価値のないものでも、その道のプロに鑑定してもらうと非常に高価なものであることがわかります。わたしたちの日常生活の中には、非常に貴重で隠された宝があります。日々の暮らしの中に宝が隠されているのに、わたしたちはその宝に気づかないことが多いのです。信仰という鑑定人が必要です。信仰の目で見るならば、日常生活にはお宝がたくさん眠っています。

先日、知り合いの方から、すごく苦しいことがあるので話を聞いてほしと連絡があり、会ってきました。この方のご主人は6月の職場の定期検診で胃がんが見つかり、更にガンは肝臓に転移していて、ステージ5になっていることが分かり、先日、抗がん剤治療のために入院したばかりでした。もし、人生の余命があと1年とか、半年と宣言されるなら、わたしたちは毎日を真剣に大切に生きると思います。自分は「どこに向かっているか」、今はどんな時か、残りの時間はどれだけあるのか、そういったことを考えてください。すると何を優先するか、何を捨てて、どう時間を使ったらいいかが見えてくると思います。毎日の時間、出来事、出会う人、これらの中に多くの宝が隠されていることに気がつくと思います。

第1朗読で、ソロモンは、民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、知恵に満ちた賢明な心を神に願いました。わたしたちもソロモンのように、善悪を識別し、何が福音的な生き方なのかを分かる識別の心が与えられるように、聖霊の導きと照らしを祈りましょう。

3年前の年間第17主日に、教皇フランシスコは、アシジの聖フランシスコの話をしました。『フランシスコは「いいかげんな」キリスト者でした。青年期のある時、彼は福音を読み、イエスと出会い、神の国を見いだしました。皆さんも、福音書を読んでください。福音の一節を毎日、読んでください。そうすればイエスが見つかります。イエスが「神の国」と呼んだこの宝を見つけたら、すべてのものが意味をなします。そして、わたしたちの人生が神の支配のもとに置かれ、神が一人ひとりの、そしてすべての人の愛、平和、喜びとなります。これが神が望んでおられることです。そのために、イエスはご自分を十字架上の死に至るまでささげ、闇の力からわたしたちを解放し、いのち、美しさ、善、そして喜びへと導いてくださったのです。福音書を読んでイエスを見つけ、キリスト者の喜びを感じてください。』と言いました。教皇は福音書の中から宝を見つけるように勧めました。そしてもうひとつ大切なことは、毎日の生活の中の貴重な宝に気づく知恵を神に願うことです。