昨日の新聞に「うだる道内10日連続真夏日、7月として20年ぶり」という記事が出ていました。暑いですね。さて、主日の福音は今週から、「神の国」(天の国)についての話が続きます。先週までは弟子たちを宣教に遣わす際の心構えについてでした。神の国はイエスの教えの主なテーマです。今日の福音は種まきのたとえです。当時のパレスチナの農民は、まず一面に種を蒔いてから土地を掘り返す方法をとっていたようです。無駄が多いようですが、日差しが強いところなので、深く土をかけておく必要があり、この方法が確実だったそうです。イエスは「農夫を見なさい、彼らのやり方は一見無駄に見えても、そのような仕方でこそ、大きな実りがもたらされる。わたしのやり方も同じことだ」と言っているようです。また、種にはすばらしい生命力と可能性が秘められています。今日の話では蒔き方ではなく、蒔かれた土地が問題になっています。種は神のことばや神の呼びかけ、土地はそれを受け取る人の心の状態を指しています。

このたとえ話は、二千年前にイエスの話を聞いた人々だけでなく、今のわたしたち一人ひとりにも向けられています。主がご自分のことばと愛という種をまいておられる土地はわたしたちの心だということを考えましょう。自分はどんな心でどの土地に似ているでしょうか。乾いて干からびてカチカチの土地になっていないでしょうか。しっかりと耕された良い土地になっていたら、自分だけでなく、ほかの人にも良い実りをもたらすことができます。教皇フランシスコは以前、豊かな土壌にまかれた種は、みことばを聞いて受け入れ、それを守って悟り、そして実を結びます。この良い土地の完全な模範は、おとめマリアです。と言っています。

また、わたしたちは、種をまく人にもなっています。良い人は良い蔵から良いものを出します。わたしたちは自分の心と口から何が出ているか自らに問わなければなりません。わたしたちの口から良いことばも悪いことばも出てきます。いやすこともできれば、傷つけることもできます。励ますこともできれば、失望させることもできます。大切なことは、何が入るかではなく、何が口や心から出るかです。 わたしたちの心の蔵には欲や見栄、憎みやひがみなど、いらないガラクタがたくさん入っています。まるでゴミ屋敷になっているかもしれません。断捨離してスッキリさせると、良いものがすぐ出せるようになります。

先日、わたしがリハビリに行っていたら、ふだん見かけない青年から「山本神父さんですよね」と挨拶されました。彼は、その施設に実習に来ていたのですが、12年前に留萌教会で、わたしから初聖体を受けていました。声をかけてもらって嬉しかったのですが、彼がいつか神様のところに戻ってきてほしと思いました。わたしたちの周りには、様々な事情で教会から離れている人も多くいます。わたしたちは、そういった人たちのためにも祈る努めもあります。

先日の福音に「蛇のように賢く、鳩のように素直に」という言葉がありました。(マタイ10.16)わたしたちには賢い頭と素直な心も大切です。 暑いのでちょっと息抜き。 『早起きは三文の得』の外国版小咄。父親が息子に「早く起きた小鳥はミミズにありつける」ということわざがある。寝坊すると損をする。息子、「でも、ミミズの立場からしたらちがう、早起きしたから小鳥に食べられたのだよ」。父は困って言い直した。「いや、このミミズは夜どうし遊んで、朝帰りしたところだったのだ。」