今日の福音はイエスの祈りの言葉から始まっていますが、途中からイエスの教えに代わっています。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」という言葉は、ストレスや心配の多いわたしたちにはありがたい言葉です。そのあとに「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」と続いています。軛は荷車や農具を引かせるために、2頭の牛(またはロバ)を横につなぐものでした。イエスはわたしたちの重荷を一緒に担ってくれると言っています。さらにイエスは「わたしについて学びなさい」ではなく、「わたしから学びなさい」と言います。これは「イエスのことばと行動から、これまでとはまったく異なる新しい実践、仕組み、優先順位、関係、視点をもった生き方を学びなさい」と言っているのです。

先日、心療内科医の海原純子さんの「幸福力、幸せを生み出す方法」という本を読みました。その本の、誰でもできる幸せへのワンステップという章に、心と体を整えて苦難を乗り切る方法が書かれていました。大変なことがあってつらい時は、まずお茶を飲み、ひと息入れることが大切だそうです。「ちょっとお茶でも飲もう」と思った時点で、自分自身と距離をおき、客観的にものを見る余裕が生まれるそうです。客観性を持てるかどうかが、苦難を乗り越えるためのキーポイントになり、視点を変えて見ることで、もっと楽になれるそうです。わたしは、このことから、わたしたちは、自分の疲れや重荷を、イエスのもとに持って行くべきだとおもいました。イエスと共に、イエスと並んで、視点を変えて、自分の苦しみ、重荷を眺めるなら、もっと別の見方ができます。このドクターは「耐えがたい苦しみに押し流されそうなときは、空から自分を見下ろして見ましょう」と書いていました。イエスと一緒に考え、物事を見つめる習慣が身につくなら、わたしたちの心は、もっと明るく軽いものに変わっていくと思います。上から見下すというと聞こえが悪いですが、距離をおいて離れて見ることで、もっと別の見方ができます。多くの宇宙飛行士たちにインタビューした立花隆さんは、彼らは、宇宙から地球を眺めたことで物の見方が大きく変化し、まるで<神の眼>を持った人間になったみたいに感じたと書いています。

今日は、真夏の暑さになるようですが、五条教会はこのあと、外でジンギスカンです。今日の第2朗読でパウロは「あなたがたは肉ではなく霊の支配下にいます」と述べています。でも、ありがたくお肉をいただき、「酒の平和」と親睦を深めましょう。

昨日、「世界初、すべて無料のスーパー、値札なし、レジもなし」というニュースを読みました。オーストラリアのシドニーに、平日の午前10時から午後2時まで開店し、毎日150人ほどが来店し、約2000点の品物の大半がなくなるそうです。賞味期限前でも処分されてしまうような食品を大手スーパーなどから譲り受けて提供し、「食品ロス」の問題と、生活に困窮している人たちの援助が目的で、スーパーのお客さんには寄付をお願いしているそうです。すべて儲けが優先する世の中で、画期的な試みだと思いました。死んでから、天国で使えるお金は、生前に他人のために使ったお金だけだった、という話があります。