今日は主の昇天をお祝いします。マルコとルカ福音書では、主の昇天の記述があり、今日、朗読された使徒言行録には、弟子たちとの最後の様子がもっと詳しく記されています。今日のマタイ福音書には、昇天の記述がありません。しかし、福音書の最期の言葉が、「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」という命令と、「わたしは世の終わりまであなたがたと共にいる」という約束になっています。教会では最近はあまり歌われないですが、カトリック聖歌集の主の昇天の聖歌には「オリベト山より~」という歌詞があります。ルカ福音書には、「イエスは弟子たちをベタニヤの近くまで導かれ・・・天に上げられて行かれた」と書かれており、イエスと別れた後、弟子たちは非常に大きな喜びを持ってエルサレムに帰ったと書かれています。弟子たちはイエスとの別れの寂しさを感じていましたが、信頼され新しい使命を受けたことに喜んでいたのです。

ここで、今日は主の昇天の日なので、説教も三つに焦点を絞ります。うまくまとまっていたら、「座布団一枚」ください。(日本テレビの笑点は51年続いている長寿番組です。司祭はいい説教をしたら「座布団一枚」と言ってもらえると励みになりますよ)

  1. 主の昇天は地上におけるイエスの使命が終わり、弟子たちの新たな使命が始まったときでした。弟子たちはイエスから「行って、すべての民に救いの知らせを告げ知らせなさい」という命令を受けました。イエスは御父のもとに行かれます。そして、弟子たちには世界に向けて出発するよう命じました。
  2. 復活した主は、ご自分が天に昇ることを通して使徒たちの目を、そしてわたしたちの目を天の高みに向けます。それは、わたしたちの旅の到達点は御父であることを示すためでした。今日の集会祈願には「主の昇天に、わたしたちの未来の姿が示されています」とあります。わたしたちは自分がどこに向かっているかをしっかり押さえて生きていかなければなりません。
  3. 教会は主と共に宣教する共同体です。使徒たちに向けたイエスの最後の言葉は「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」でした。これは出発を促す命令です。そして、イエスが一緒でなければ、わたしたちだけでは何もできません。わたしたちの使徒職のためには、自分の力、資源、組織が必要ですが、主がいてくれなければ、わたしたちの働きがどれだけ組織化されていても何の役にもたちません。教会はいつも、祈りが大切にされている共同体でなければなりません。

聖母月もあとわずかです。みなさんの今年の聖母月はいかがでしたか。今年の5月13日は、ファティマの聖母ご出現の百周年でした。ファティマの聖母は、毎日ロザリオを祈るように勧め、ご自分のことを「わたしはロザリオの聖母です」と名乗られました。使徒言行録には、使徒たちと一緒に祈って聖霊を待ち望んでいたマリアの姿があります。わたしたちも聖母に、イエスと共にわたしたちに寄り添い導いてくださいと願いましょう。

マリア様、イエス様と共にいつもわたしたちのそばにいてください。

 

オリベト山より♫

オリベト山より み国にのぼりて
父なるみ神の 右にぞまします
アレルヤ

栄光かがやく み空をあおぎて
弟子たち佇み み姿見まもる
アレルヤ

この世の終りに 光かがやきて
再び来ますと み使い告げたり
アレルヤ

カトリック聖歌集 216番