今年の聖霊降臨の祝日は2週間後の6月4日です。来週の日曜日は主の昇天を記念します。今週の福音から聖霊についての話が出てきます。テレビドラマなどで次回の予告が少し放映されるような感じです。

イエスは最後の晩さんの席で、弟子たちに聖霊を与える約束をしました。その時、イエスは、弟子たちが迫害されることが頭にあったので、聖霊のことを、彼らの側にいていつも助けてくれる「別の弁護者」と言われました。さらにその弁護者は「真理の霊」であって、弟子たちと共に、彼らの内にいて、彼らを生かすことになると言われました。聖霊は何ですかと言われても、とても複雑で一言では説明出来ません。でも、敢えて簡単に言えば、「目に見ることは出来ないが現実に働く神の愛の力」と言うことができます。聖トマス・アクィナスは「愛こそは聖霊本来の名」と断言しています。

神の力は外側に働き、聖霊は内側に臨むというイメージがあります。イエスは「あなたがたこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」と言われました。聖霊がわたしたちの内にいてくださると、わたしたちはキリストの弟子、キリスト者として生きることができます。外側だけのキリスト信者がいます。その人の内側にキリストの霊がいないなら本物のキリスト信者ではありません。中が空の樽は大きな音を出します。中身の詰まったキリスト信者は穏やかで落ち着いて静かで温かい人だと思います。今月は聖母月です。マリア様は多くのことを心に収めるのが、得意でした。

聖霊のカタログといわれる、ガラテア5章22節以下では、「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」と述べられています。これらの霊の実はわたしたちがみな身につけたいものばかりです。考えてみると、わたしたちは、ほんのわずかしか聖霊をいただいていないことがわかります。聖霊来てくださいと謙虚に祈りましょう。聖霊がいてくれなければ、寂しいキリスト信者です。わたしたちの内に聖霊がとどまっていてくれるなら、わたしたちはイエスと御父の交わりの中に生きることになります。するとキリストの掟を受け入れ、それを守り、神と隣人を愛する人に変えられていきます。また聖霊はわたしたちの内で祈ってくれるので祈る力を与えてくれます。また聖霊は、わたしたちが話す力をあたてくれます。わたしたちのうちで語ってくれます。(ルカ12.11)。聖霊はわたしたちをキリストに近い者に変えてくれます。聖霊はわたしたちがキリスト信者として生きていく上でなくてはならないもの、どうしても必要なたまものです。車はガソリンで動きます。電化製品は電源につながっていなければ動きません。むかし、ある神父さんが、聖霊がいるのといないのでは昼と夜の違いですと教えてくれました。

おまけですが、聖霊は真理の霊なので、真実を分からせてくれます。こんなジョークをみつけました。 誤解、 ある女性が牧師のところに来て質問した。「先生、鏡の前で自分の美しさにうっとりしてしまうのは虚栄の罪でしょうか」 牧師は荘重に答えた。「いいえ罪ではありません。単なる誤解です」


教会中庭の新緑の木々たち