復活節第4主日は「良い牧者の主日」とも呼ばれ、毎年ヨハネ福音者から良い羊飼いに関する福音が朗読されます。イエスは当時の人々に分りやすい日常生活に密着したたとえを使って話されました。今の北海道では、酪農で牛を飼っている人とか競走馬を生産している人はいても、羊飼はほとんどいません。たまに羊を飼育していても、それは、肉を生産するためなので、羊からしたらと良い羊飼いとは言えないでしょう。当時の羊飼いは優秀な人は100匹くらいの羊を受け持ち、それぞれに名前をつけて世話をしていたようです。昼間は草のあるところで放牧し、夜は羊を危険から守るために、多くの羊飼いが共同で使う囲いの中に入れ、朝になると各々が自分の羊を呼び出して放牧に連れて行きました。

今日の福音でわたしが大切だと思う言葉は「羊はその声を聞き分ける」「羊はついていく」です。わたしたちの周りにはさまざまな価値観、考え方があります。しかし本当の幸せに導いてくれるのはキリストです。ですからキリストの声を聞き分けて、聞こえたら従ってください。従うことはそのことばを受け入れ、回心し、自らの行き方を変えることです。イエスの声に従うことで、わたしたちは永遠の命をいただけます。

わたしたちに、口が一つで耳が二つあるのは、話すことの二倍聞く必要があるからだと言われています。でもわたしたちは聞くことが苦手です。先日、親しい神父さんの霊名の祝日にお祝いのメールを送りました。そうしたら彼からの返信は、『お祝いのメールをありがとうございます。今朝のミサはわたしが当番でしたので、結構長い説教をしました。おそらく、信徒やシスター方はよく聞いていたと思います。けれども(修道院の)兄弟たちには、「いまいち」であったようで不評でした。「この方々に聞かせたかったのに」という思いがつのります。』でした。ある牧師さんが書いたジョーク集にこんな話が出ていました。

牧師があの人に聞かせたいと思って説教を準備すると、あの人は欠席。
この人に聞かせたくないと準備すると、この人が出席する。
みんなに聞かせたいと思って準備すると、みんなは眠ってしまう。

マザー・テレサは「すべてを通して語りかける神の声を聞くために、心の沈黙が必要です。」と言っています。静かに落ち着いていなければ、神からの声、キリストの呼びかけは聞こえてきません。今日のミサの集会祈願では「一人ひとりに呼びかけてくださるイエスの声に耳を澄ますことができますように」と祈りました。共同祈願では「わたしたちがキリストの語りかける声に耳を澄まし・・・」と祈ります。マザーは、心に納めて思い巡らすことが、出来事を通して語りかけている神からのメッセージを聞くことにつながると言っています。日常の様々な出来事、人との出会い、苦しみや神の沈黙と思われること、こういったことを心に納めて思いめぐらすなら、神の思い、神の計らい、キリストの呼びかけに気づくことが出来ます。今月は聖母月です。マリア様は心に納めて思い巡らした方です。マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて思い巡らしていた(ルカ2.19)。母はこれらのことをすべて心に納めていた(ルカ2.51)。マリア様をお手本にしましょう。