みなさん主のご復活おめでとうございます。昨日わたしは、「復活」RisenというDVDを観ました。この映画は、イエスの処刑に立ち会った百人隊長が、復活のイエスに出会う物語でした。この映画は普通のキリストを扱った映画とは違って、キリストの処刑の場面から物語が始まりました。ピラトはイエスの遺体が消えたとの報告を受けて、百人隊長に真相を調査させます。弟子たちがイエスの遺体を隠したと確信した百人隊長が、ついに弟子たちの隠れ家に踏み込んだとき、そこで彼は自分が十字架に張り付けたはずのイエスに出会うのです。そして真相を探るべくガリラヤまで、弟子たちと行動を共にし、次第にイエスの復活を信じるようになっていく、というストーリーでした。この映画では、人々を恐れながらも、復活したイエスと出会った喜びに満たされていく弟子たちの姿が印象的でした。弟子たちはどんなことがあっても、主イエスは復活されたと言い続けました。

キリスト教はイエスの復活を信じた人々によって始まりました。復活したイエスは自分に従っていた人々にだけ現れています。そのためイエスの敵対者たちは、弟子たちがイエスの復活を言い広めたと考えていました。最初キリスト信者を迫害していたパウロは、復活したイエスと出会い、イエスこそキリストであると確信を持ち、熱心に宣教するようになります。彼は「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたの信仰も無駄です」と言い切ります。キリストを三回も知らないと言って裏切った使徒ペトロも、復活したキリストとの出会いから、「人間に従うよりも、神に従わなければならない」といって大胆にキリストを伝えるようになります。

今日のミサの集会祈願には「全能の神よ、あなたは、きょう御ひとり子によって死を打ち砕き、永遠のいのちの門を開いてくださいました…」とあります。イエスの復活は、新しい命の始まりです。復活は奥義です。復活の奥義を学ぶことは正しいですが、最終的に、理解するより信仰によって受け入れるものです。“永遠のいのちを信じます”イエスの復活は初穂です。その復活がわたしたちに受け継がれます。わたしたちには新しいいのち、新しい世界が待っているのです。

一昨日、知り合いの信者さんから速達の手紙をもらいました。お母さんが一ヶ月前に百三歳で亡くなったのでミサをお願いしたいこと。三年間、訪問介護を受け、家族も役割分担して介護してきたこと。死の別れが辛く悲しかったことなどが書かれていました。わたしは、ご復活のあいさつと、お悔やみと、死ななければ永遠の命もないので、それはそれでよかったですねと返事を書きました。

イエスの復活の命に与るためには死ななければなりません。復活なさったイエスの命は、今の命と根本的に違います。今の命は、確実に死に向かって進んでいます。復活の命は永遠に生きる命で、新しい創造です。パウロは、わたしたちは洗礼によってキリストとともに死に、キリストとともに復活させられたので、上にあるものを求めて生活しなさいと勧めています。