今日の箇所は山上の説教の中でもとくに有名な箇所です。「思い悩むな」と表題がつけられた25~34節には、「空の鳥をみなさい、野の花を見なさい」という有名な言葉が出てきます。典礼聖歌でわたしたちは「♪ごらんよ空の鳥、野の白百合を♪」と歌っています。それで、みなさんは、この「空の鳥」でかわいい小鳥を思い浮かべるかもしれません。でも、ルカ福音書では「空のカラスを見なさい」になっています(ルカ12.24)。カラスは聖書では多くの場合、汚れた鳥として忌み嫌われています。それから「野の花」も、原語の(ギリシャ語)「クリノン」という言葉は、普通の草花、あるいは「野アザミ」という説もある言葉です。「野アザミ」は棘があり、はびこると厄介ないわば雑草です。「今日は生えていて明日は炉に投げ込まれる」という表現を見ても、野アザミ説は有力です。この聖書の箇所でイエスが最も伝えたかったことは「天地万物を創られた神がこの世の全てをごらんになるその眼差し」なのです。忌み嫌われるカラスや野アザミにも価値と美しさを見いだし、それを喜ばれる神の眼差しがあります。その眼差しはイエスを通して、当時の人たちに向けられたのです。イエスの周りには社会から敬遠されたり、不器用な人、一癖も二癖もあるような人たちが集まっていました。しかし主に希望を置き、必死で生きようとしている、そんな人々に対して、尊さを見出し「あなた方は価値あるものだ」と言われたのです。 ある聖書学者は、今日の聖書の箇所は、本来は弟子を宣教につかわすに当たって、天の父に対して揺るぎない信仰を持つように諭した箇所だと言っています。
カラスのことですが、カラスは賢い動物です。道具を使うことができ、人の顔も覚えます。わたしは札幌にいたとき、カラスを可愛がっていました。雀に餌をやっても誰からも非難されませんが、カラスを可愛がっていたのでいろいろ非難されました。でも、去年、光明社に買い物に行き、約一年ぶりに、仲良くしていたカラスに会うことが出来て感激しました。カラスはわたしの車を覚えて飛んできました。カラスはノアの方舟から最初に放たれた鳥です(創世記8.7)。また預言者エリアに食料を運ぶ仕事もしています(Ⅰ列王記17:3~4)。
日常生活でわたしたちはいろいろ気配りをし、配慮し、心配もします。明日のことを思い煩うのが普通です。赤ちゃんや幼児ならそれでいいのですが、大人になって、脳天気に過ごす人がいたらみんなが迷惑します。イエスは弟子たちが宣教に出かけるときは、神さまが何とかしてくださるのだから、明日のことはあまり心配しないで行きなさいと言ったのです。そして弟子たちが第一に考えなければならないのが「神の国と、神のみ旨にかなう生活」だったのです。
今の時代は、携帯やパソコンで自分に来ているメールを一日に何回もチェックし、一瞬にして多くの情報を得ることができるようになりました。でも、神のみ旨に関してチェックしない人が多くなっていると思います。神のみ旨はメールでは来ません。わたしたちが聖書を開いたり、祈りの時間を取る時に届けられます。イエスは「まず、神の国と神の義を求めなさい」と言われました。神の義とは神のみ心にかなう生活をすることです。パウロは自分に与えられている神の計画を考えてみるように勧めています。「皆さん、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです」。と言っています。