今日は、聖家族の祝日です。聖家族とは、いうまでもなく、ヨセフ、マリア、イエスの家族のことです。ヨセフは大工でした。今でいう、建築屋ではなく、家具をはじめとする、木を使ったものを作るような仕事でした。定職を持った職人でしたから、貧しいながらも安定した生活を送っていたと思われます。イエスが生まれる前にベツレヘムで、ヨセフとマリアは、まずは宿屋に泊まろうとしました。これで、宿屋に泊まることのできる経済状態であったとがわかります。たまたまどこの宿も満室だったので、家畜小屋に泊まることになりました。聖家族の日常生活はわたしたちの生活とあまり変わりなかったでしょう。ヨセフが働き、イエスがその手伝いをし、マリアが家事全般をやり、他の家庭のように、イエスに対してしつけをしたり、叱ったり、また仕事を教えたりもしたでしょう。決して、イエスを甘やかし、崇めるようなことはなかったと思います。いつも、我が子として、養い育てていったはずです。

今日の福音は、ヨセフが夢でお告げを受けて、エジプトへ逃れた箇所です。わたしは、むかしこの箇所で聖書の分かち合いをした時、あるお父さんが「マリア様はえらい!」と言ったことを思い出します。その方は「うちの奥さんなら『あんたなに寝ぼけているのさ』と相手にしてくれないだろう」と言いました。

聖家族だから問題がなかったわけではありません。幼い子どもを連れてのエジプトへの脱出と難民生活、イエスのために殺されたベツレヘムの幼子たちのこと、聖母が神殿で「この子は逆らいのしるしとなる」と預言者から言われた不安、12歳の時神殿で迷子になった時のイエスの言動。母親を残してのイエスの出家などです。

聖家族は順風満帆でなくとも、いつも神と共にいた家族といえます。どこの家庭にも不安や問題があり大変なことがあると思います。不都合なことであっても、神から与えられたことはいつも素直に受け入れていってください。病気、何かの事故や事件、老いることそういったことに関して、神さまに不満を言っても始まりません。

お互いが仲のよいこと、愛情があることは、どこの家族でも大切ですが、信者の家庭では、神さまが大切にされていることが大切です。何かあったとき神様を交えて相談できる家庭が聖家族のような家庭ではないかと思います。家庭があって自分の家がある、くつろげる場所や心を開くことができる人がいることはありがたいことです。そういった場に神さまも自然に入っている、そんな家庭が増えるために、皆さんの普段の生活が神さまにいつも繋がっていてほしと思います。

第二バチカン公会議以降、教会は家庭のことを「小さな教会」と呼んでいます(信徒使徒職に関する教令)。つまり、教会の最小単位が家庭だと言うことです。家庭の中に愛が充満し、家庭内で福音を宣べ伝えあい、周りの人達へ福音を宣べ伝えていこうとするのが、小さな教会である家庭の使命です。また現代世界憲章では、家庭を豊かな人間形成のためのいわば学校のようなものとも述べています。人間形成のための良い環境を整えましょう。

エジプト逃避