今日の福音はルカ福音書15章にある「神のあわれみ」に関する三つのたとえ話のうち、見失った羊となくした銀貨の話です。イエスは、ご自分がファリサイ派の人々や律法学者たちから、徴税人や評判の悪い人たちと仲良くしていると批判された時、一人の罪人が悔い改めるなら天国では大きな喜びがある。そのことを教えるためにこれらのたとえを話されました。救いが必要なのは健康な人ではなく病人なのです。みなさん、自分を正しい心の立派な人間と思い、他人の過ちや罪を蔑むことだけは避けてください。大事なことは自分も他人も同じように弱い人間であることを知り、他人の苦悩や哀しみにいつも共感する心を持つことです。

先日、旭川で初ミサをされた佐藤謙一神父さんが、その前日の土曜の夜、神居の修道院に泊まられました。わたしが5条教会で夕方のミサを終えて修道院に戻ったら、佐藤神父さんが乗ってきた、札幌ナンバーの1059の車がありました。翌朝、「神父さんの車のナンバーは1059で天国なんだね」と話しかけたら、「あの車は自分のではなく祐川神父さんから借りてきた」と言っていました。以前、葬儀屋さんで1192、いい国、とナンバーを付けていた会社がありました。わたしたちの最終目的地は天国です。みなさん。天国と歯医者さんに共通点があるのですが、何か分かりますか?それは、最後には行きたいが、ギリギリになってからにしたい。それまでは、いろいろ楽しみたい。という点だそうです。信者さんの中にも神の国や天国には、今は興味がないという人も多くいます。先日、5条教会の新しい信者名簿をもらいました。―近ごろは、信者名簿は個人情報だからといって作らない教会も多いですよ―。わたしはむかし5条教会にいたので懐かしい名前がたくさんありました。教会に来ていない人や、親元を離れている子どもさんの名前も載っていました。どんな人もみんなも教会に戻ってきてほしいです。

自然の災害や事故などで行方不明者がでると、世の中では見つけ出すまで大規模な捜索が行われます。教会では、信者さんが自分の子どもや親しかった人たちが、教会から離れ、行方不明になっていても、大らかというか、わりと無関心です。離れた人にもいろいろな事情があると思います。でも、そのことには触れないでそっとしておこうという雰囲気もあるようです。教会から離れた人達は、今は仕事が忙しい、やるべきことがたくさんある。そして健康に恵まれ順風満帆だと思っているかもしれません。でも、いつかこの世を去る時が来ます。その時に、大切な物は何も持っていけない。これまで手に入れた物や業績の数々よりも、愛する気持ちを相手に伝えたことや大切な人と過ごした時間、社会に貢献したことのほうがはるかに大切に思える時がくるはずです。信仰生活は現実のもっと先を見据えた生活をすることです。先日、修道院の兄弟が、旭川駅の近くで自転車を盗まれました。それで、昨日の朝食の時に、今日の福音の迷子の羊の話より、自転車を盗まれてあちこち探し回った話の方が、もっと分かり易いという話をしました。でも、福音と違って自転車は見つからなくて、その兄弟は今、別の中古自転車を買って乗っています。