今年はいつくしみの特別聖年です。教皇は、いつくしみの特別聖年公布の大勅書で、この聖年のモットーは「おん父のようにいつくしみ深くなること」です。と言っています。また、この聖年の間に、自分とはまったく異なる周縁での生活を送るすべての人に心を開き、それらの人々の傷の手当をし、慰めの油を塗り、いつくしみの包帯を巻き、連帯としかるべき気遣いを持って世話をすることをわたしたちに求めています。おん父のようにいつくしみ深くなるためには、神のことばやイエスの声をじっくり聴かなければなりません。
明日は、ヨーロッパに修道生活をもたらした聖ベネディクト修道院長の記念日です。函館のトラピストは聖ベネディクトの系列の修道院です。トラピストには「祈りかつ働け」というモットーがあります。聖ベネディクトは、祈りの基礎は、神のことばを聞くことと言います。神のことばは毎日の労働を生かす地下水の流れになります。わたしたちは畑や庭のために雨が欲しいと思うことがあります。同じように、自分がもっとキリストに近づき、いつくしみ深い者になるためには、神の言葉を聞く祈りが必要だと気づかなければなりません。お願いの祈りばかりして、神のことばを聞く祈りをしていなければ、心は干からびた土地になって行きます。そして、そこからは何も育ってきません。
今日の福音は「善いサマリア人」のたとえです。この話はルカ福音書だけに書かれているわかりやすい話です。イエスは分け隔てなく、助けを必要としている人にすぐ手を差し伸べました。彼は、困っている人、苦しんでいる人がいたら黙って見ていられなかった人です。このたとえの結びは「言って、あなたも同じようにしなさい」という言葉です。わたしたちがイエスについて行こうとしたら、何よりもイエスの行いを真似るべきです。わたしたちは何かの親切をする場合、その人はどんな人か。見返りがあるのか、他人はどう思うのかとかなどと考えます。相手の立場、相手の気持ちではなく、自分の都合、自分の条件に会った人だけを隣人とみなすなら、良いサマリア人にはなれません。イエスは、立派な信者になりなさいではなく、よいサマリア人のように行いなさいと勧めました。
いま、わたしたちのまわりに、強盗に襲われた人はいないかもしれません。でも、笑顔のない人、疲れた人、寂しい人、祈ってほしい人はたくさんいると思います。そういった人たちの立場を理解し、寄り添い、いつくしみのわざを行うことは、特にこの大聖年にあたって大切なことです。先日、日本の人口の1/4が65歳以上になったというニュースがありました。元気な老人もいますが、手助けや介護を必要とする人もたくさんいます。どこの教会にも高齢者が多いです。でも、わたしたちは自分よりもっと大変な人がいることを考えて、手助けや祈りをしていきましょう。聖ヨハネ・パウロ二世教皇は、高齢者に宛てた手紙で、「思い出だけに生きる日、過ぎ去った日々はよかったということを考えてばかりいる日…わたしたちは若さを失います」と書きました。老人には未来に希望を失わない心、自分や人々の魂の救いを信じる、生き生きとした若い心が必要です。シルバー川柳から…万歩計半分以上探し物・起きたけど寝るまで特に用もなし・マイナンバーナンマイダーと聞き違え…