神居教会では今日、洗礼志願式が行われます。求道者は今日から洗礼準備期に入り、回心と生活の改善、キリストの教えの十分な知識、信仰と愛の心が求められます。わたしたち信者も、洗礼志願者と一緒に、よりキリストに近づく努力をしていきましょう。

四旬節第1主日の今日は、2月14日でバレンタインデーと重なっています。多くの教会で洗礼志願式が行われますが、わたしは今から51年前の1965年2月14日に、洗礼を受けたいと思いつき、その年の復活祭に洗礼を授かりました。それで洗礼名はヴァレンチノを選びました。その年の2月14日は、まだ四旬節に入っていなかったのですが日曜日でした。

今日の福音は、イエスが荒れ野で悪魔からの誘惑を受けた箇所です。最初の誘惑は、神の子の力を持って「石をパンに変えたらどうか」というものでした。これは、人々の空腹を満たし、人を豊かにすることを約束すれば、メシアとして成功するのではないかという誘いだったと思います。これに対してイエスは、「人はパンだけで生きるものではない」という申命記の言葉で誘惑を振り払っています。近ごろはニュースを見ていても毎日のように、経済のことが話題になっています。日銀のマイナス金利とか、世界経済の先行きだとか、株価の話題です。

教皇フランシスコは今年の四旬節メッセージで、今の世の中は、金銭への偶像崇拝により、富める個人や社会は、貧しい人々の未来に関心を示さなくなっていて、貧しい人々を見ることすら拒み、自分たちの扉を占めている、と書いています。イエスは自分の飢えのためにパンを増やしませんでしたが、飢えた群衆のためにはパンを増やされました。さらに自らがご聖体となり、わたしたちを養い、わたしたちを永遠の命へと導いてくれます。

この第1の誘惑の箇所で、わたしは、神学生時代、面白い神学生がいたことを思い出しました。当時、神学校の校長は聖書学の教授で、神学生は彼に「たぬき」というあだ名をつけていました。それで、「○○さん第1の誘惑は何でしたか?」と聞かれたとき、彼は「この葉っぱをお金に変えなさいです」と答えました。第二、第三の誘惑については省略しますが、イエスはいずれの誘惑も、聖書の言葉でふりはらっています。

わたしたちはイエスのように聖書の言葉で誘惑を退けるほど聖書を読み込んでいません。イエスは「誘惑に陥らぬように目を覚まして祈りなさい」と言われました。でも祈らないので、悪魔につけ込まれる隙だらけです。

ある神学者の本を読んでいたら、最近は教会の中に還元主義という考えが入ってきていると書かれていました。信仰の中に入ってきた還元主義というのは「神中心の信仰を人間中心主義」に移しかえ、できるだけ薄く簡単なことに置き換えていくようです。神を愛しなさいという第一の掟は、隣人を(自分のように)愛しなさいという第二の掟に還元されてしまい、なるべく神について触れないようになってきているそうです。神の代わりに隣人を愛すればよい。また、信仰は自分を完成させるものと考え、自分のためにならなければ神は不要と考える人も多くなっているようです。

わたしたちは、惑わされ、誤魔化されないように、「誘惑に陥らせず、悪からお救いください」としっかり祈りましょう。