生命への畏敬の念
“Reverence for Life”

トンボが飛んできたので、手に持っていた棒を振りました。するとトンボに当たって殺してしまいました。その時の気持ち。小学1年生。
友だちとカエルを捕まえて、足で踏んづけて殺してしまいました。その時の、尊いもの、命をを奪ったことに気づきました。

S先生から、W君のお見舞いの同行役を頼まれました。クラス代表という役割でした。ついていくと、W君は寝ていましたが、すぐに起き上がって布団の上で遊びました。W君は、おもちゃを見せました。帰りがけに、私が欲しいというと、すぐにくれました。先生は私に遠慮するようにと言いました。お母さんは、どうぞと言う「仕草」でした。私は、すぐにもらってきて、家で遊んでいるうちに壊してしまいました。

間もなくW君が亡くなったことを知らされました。人間が「いなくなる」ものと知りました。「死ぬこと、命がなくなる」ことを知りました。W君の家の前には、大きな川が流れていて、魚釣りをしている人がいました。小学2年生のことです。

後年になって、司祭になってから、私は、その近くにある女子修道院から招かれたことがありました。それで、この川を探してみましたがありません。釣り人もいません。やっと見つけたのは、小さな川でした。浦島太郎のような気分でした。それでもW君のことは、今も鮮やかに思い出せます。見事な終わり方でした。

友人から「シュバイツァー伝」を紹介されました。20歳のころのことです。
そして「生命への畏敬の念」のことを教えられました。シュヴァイツァー博士の思想と実践の根底にある考え方です。これは人間をはじめとして、生命をもつあらゆる存在を敬い、大切にすることを意味しています。シュヴァイツァー博士は、生命あるものすべてに、生きようとする意志と、創造主の意向があると考えたのでしょう。シュヴァイツァー博士は、この事から出発して、すべての人が生きようとする意志を大切にすること、生きようとしている他の生命をも尊重しなければならないと考えた、と知りました。

この生きようとする意志は、希望でもあります。自分にとって大事な徳を挙げなさいとテストがありました。愛だけではなく、希望を入れてなかった生徒は減点でした。自己を完全に実現しようとする意志と考えました。