旅は道ずれ、世は情け
「旅人と我が名呼ばれん初時雨」(芭蕉)

人生は旅と言われています。ある日、人間として生まれ、親と出会います。人生街道の道で出会う困難、失敗、挫折、孤独の中で、人の世の情けを知ります。自分の弱さを覚えます。道連れの、同伴者・インマヌエルの存在に助けられます。畏れ、畏敬の念を抱きます。道々、生、老、病、死を知ることから、天を仰ぎ見ることを学びます。唱える祈り、お題目を知らなくても、心の中で、「対話」をするようになります。
これは「心の祈り」です。ギリシャ語では、人間のことを「仰ぎ見る人ープロスアポーン」と学びました、昔の記憶です。人は孤独になり、内側がしずまると、「上を仰ぎ見る」ようになります。回心は、孤独の中で覚えることが多いのではないでしょうか!
弱さの中で力を体験がありませんか?
パウロの言葉を思い出します。
「主は、『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです」(2コリント12:9~10)。
黙想会では、沈黙と孤独が大切にされます。強いられて孤独に陥る状況もあります。病気もそうです。弱さと悩みを知ります。老いもそうです。後期高齢者よりも「年寄」と呼ばれる方を好みます。
うしろすがたの しぐれてゆくか  山頭火
携帯やスマホの時代に、自分から孤独を求めることは難しいです。

映画「汚れなき悪戯」には少年マルセリーノが、友達を”マヌエール”と呼んで遊ぶ場面がありました。この方がインマヌエル、同伴者イエスとわかりました。

日野原重明先生の言葉に「命は時間、使える時間とは、人のために使う時間」があります。降ってきた水が川を下り海に流れていくように、命の源・海にたどり着く旅、それが人生と教えられました。「良い出会いも才能のうち」とも。そうです。死を迎えるときにも一人旅立っていきます。心穏やかに安らかに旅を続けたいものです。