良いお祈りとは
- Jesus loves you -
お祈りに、良い祈りと悪い祈りがあるのかどうか、わかりません。これは昔からくり返し問いかけられてきたものです。「お祈りが本物であるかどうかを、どうしたら知ることが出来るのですか」と。
その答えは、祈りそのものの中にあるのではなく、祈りの外に起る事柄の中に見つけることが出来るのです。「木の善し悪しはその結ぶ実でわかる」(マタイ 12:33)からです。
答えは、《愛》の一語につきます。隣人を愛することの出来る人は、真の祈りをしている人です。キリスト者の生活に関する尺度は、愛だけなのです。神を愛するならば、その人は、あの最も重要な二つの掟を守るでしょう。この点については、どんな人の目をも、ごまかすことはできないのです。
「祝福する」とはラテン語の [Benedictio] 直訳すると「よく言う」からきています。反対に「悪く言う」とは「呪い」です。ヤコブは「同じ口から賛美と呪いが出て来るのです」(ヤコブ3:10)と、舌と口を正しく用いるように教えています。
誰でも時には祈ります。特に大勢の人々と共に祈る時には、たやすく祈れます。例えば“黙祷”などです。しかし、祈りが本物であるかどうかは、隣人を愛することが出来るかどうかに、かかっているといえます。また、何を祈り求めているのか、その内容にもよります。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)です。
私の神への愛は、隣人に対して示す愛と祝福のうちに具体化されています。これは、お祈りが本物であることを示す尺度なのです。
聖トマス・アクィナスは、愛を「他人の幸福を願うこと」と定義しています。このような愛の持ち主のうちには、神の国(神の支配)が来ています。またお祈りで求めている内容を知れば、その人がどういう人であるかを知ることが出来る、とも言えます。
内省のために:
☆ 隣人の幸福を求めていますか。
◎ 相手を大切にする気持ちがありますか。
聖書の個所:
コロサイ 3:12~17 「神に選ばれ、、愛されているのですから、、寛容を、、」
1テサ 4:9 「兄弟愛については、あなたがたに書く必要はありません。、、」
1コリ 11:21―22 「、、貧しい人々に恥をかかせようというのですか。、、」