あなたはどこにいるのか
- 国井健宏神父さまを偲んで -
ロシアの役人が、シベリアにユダヤ教のラビを連れて向かっていました。ラビ(ユダヤ教の祭司)は流刑にされるところでした。役人が「どうして全能の神が、アダムにどこにいるのか」などと(創世2:9)聞いたのだろうと言うと、ラビは「お前は59歳にもなって、自分がどこに立っているのか知らないのか?」と。役人は自分の年齢を言い当てられてギクッとしましたと言うような話でした。
これは国井神父さまから聞いたマルチン・ブーバー著作の一節です。良い講話をしていただきました。私も自分が、今、どこにいるのかと思います。
創世記に主なる神が「あなたはどこにいるのか」と問いかける場面があります。そしてアダムが「隠れております。私は裸ですから」と答えています。それで、ラビが役人にどこに立っているのかと言うのです。
「汝自身を知れ」(なんじじしんをしれ、これは哲学者・ソクラテスが行動上のモットーとした言葉です。デルフォイの神殿の入り口に掲げられていたとか)。自分が無知であることを自覚し、その自覚に立って正しく行為しなさい、ですね。
主イエスと女性との対話が、ヨハネの4章にあります。サマリアの井戸と記されているところです。イエスさまがいると、そこに水を汲みに来るのです。と言うことは、女性の仕事だったようです。時間が「正午ごろのことであった」とあります。朝ではなく、暑い時刻です。また、イエスさまがサマリアを通ること事態がおかしいことでした。ユダヤ人とサマリア人とは仲が良くなかったからです。でも主イエスは通って行ったのです。
なぜでしょう? 主イエスは私の人生の道にも通りました。
出会いと出来事、これは神の現代語です。出会いは教会ともあります。
★ 教会との出会い。信者や司祭、修道者に出会って、今の私になりました。
これは信仰者との出会い、出来事との出会いです。
★ 神は曲がった道具で、真っ直ぐな線を引くことが出来る方です。
聖書箇所
ヨハネ1:15-42 洗礼者ヨハネと、2人の弟子が立っていると
ル カ10:38-42 イエスが旅の途中、マルタとマリアの家に入ったこと
★ お好きな箇所がありませんか?