後ろ向きに前へ進む
- Back to the Future -

「後ろ向きに前へ進む」をイメージさせるものに、ボートがあります。ボートに乗って池を漕いだことが、ありませんか? ボートは旭川なら、常磐公園にあります。

神さまのボートの話が「出エジプト記」33章にあると、私は思います。18節から23節です。モーセが主に「どうか、あなたの栄光をお示しください」と、お願いすると「主は言われた。私はあなたの前に、全ての私の良い賜物を通らせ、あなたの前に、主と言う名を宣言する。私は恵もうと思う恵み、憐れもうとする者を憐れむ。また言われた、あなたは私の顔を見ることは出来ない。人は私を見て、なお生きていることは出来ないからである。主は言われた。見よ、一つの場所がある。22わが栄光が通り過ぎる時、私はあなたを、その岩の裂け目にいれ、私が通り過ぎるまで、私の手で、あなたを覆う。

★23「私が手を離すとき、あなたは私の後ろを見るが、私の顔は見えない」と言われた。この個所をどう思いますか?!私個人にも、後ろ姿を見ると言われたように感じます。
良いことも、そうでないことも、私が今の私になるうえで、意義がありました。
「意義」とは、ある出会いと出来事が、他人との関係や事柄との“関係”が生み出した「価値」です。「意義」です。
Fore-sight Hind-sight 「前もって、知る」よりも、「振り返って、知る」です。
Be fore のBEを取って、Fore-sight(フォア・サイト)、と、
Be-hinde のBeを取って、Hind-sight(ハインド・サイト)と。

師イエスは、師(先生)であるだけではなく、「主」です。主は、おもに神であるキリストをさします。イエス・キリストをもさしています。そして愛の霊も、です。
ヨハネ20:29「見ないのに信じる人は幸いである」

ある方が、自分は「多くの師に出会ったが、一人の主にも出会わなかった」と言いました。有名な方でした。
出会いと出来事は神の現代語です。メディテーション、内的な祈りが要ると考えます。

ロヨラの聖イグナチオは、霊操の第1週から、第4週までを完成させた後に、「原理と基礎」を加えました。「神の愛」です。私は、これを「神の私への愛」として雑文を書いてきました。私は、今までの歩みを振り返る時に「私が今日あるのは、神の恵みによることです」(1コリント15章10節)を、思い起こします。
“人は誰もただ一人旅に出て、人は誰もふるさとを振りかえる。ちょっぴりさびしくて振り返っても、そこにはただ風がふいているだけ”、という歌を思い出しました。
Back to the Future(バック・ツウ・ザ・フューチャー)の言葉は、タイムマシンに乗って過去の世界に行った少年が、その世界から、自分が「今、生きている世界に戻る」という意味で使われました。映画のタイトルです。