福 音 の 神 髄
「the marrow of the gospel 」

マタイ福音書にあります。
「まず、神の国とその義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな、加えて、あなた方に与えられる。だから明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日が思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である」。
真髄をEssenceエッセンスとも言います。マタイ6:33―34を観てください。
「まず、神の国とその義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな、加えて、あなた方に与えられる。だから、明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日が思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である」

旅の恥は掻き捨てて。その人が来ると、そこが明るくなる人。冷える人。存在のもと特徴。聖性は存在から生まれる、始まるのでは?

ローマ14:17には「神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊のよって与えられる義と平和と喜びなのです」とあります。
「私はぶどうの木、あなた方は、その枝である。、、、、、。」(ヨハネ15:5)

貧困、飢えと渇き、泣くこと、無視や拒絶されることです。踏んだり蹴ったり。良い評判とか高い評価は「真の幸い」のためには、妨げになるみたいです。今年はルカの福音書、マタイの福音にもあります。「真福八端」とも言われています。パラドックス、逆説です。世間の価値観とは、逆の価値観、幸せのことです。

生き死にを 御手のまにまと 思いしが つつがなき日の 事にして (不詳)

離れゆきて また戻りくる 君がみ前 イエスという名の われに重たき

いちにんの 身に添う人も あらざりしよ イエスのうけたる 深き死の意味 (朝日新聞・毎日歌壇)

「死を考えるのは死ぬためじゃない、生きるためなのだ」。これはアンドレ・マルローの言葉です。ドストエフスキーの言葉に「人間は死を怖れる。それは生を愛するからである」。がありました。つまりより良く生きるため、それが旅立ちの準備、用意になっているのです。

福音の神髄を「the marrow of the gospel」と言います。