在るべきか 在らざるべきか
-To be, or not to be-

人間は「存在」「ただの存在」To be です。そして「働き」「労働」To do です。「存在」は「働き」になります。その人が「来る」と、その人が「居る」とそこが明るく、暖かくなる人と、冷たく冷える人があります。
自分はどうでしょうか!存在To beと働きTo doです。 耳が痛いです。

ファリザイ派や律法学者たちがいました。鵜の目、鷹の目と言う感じです。

聖性は「存在」から生まれる、始まるのではないでしょうか?「徳は孤ならず必ず隣あり」(とくはこならずかならずとなりあり)は論語です。徳のある人は孤立することなく、必ずよき協力者にめぐまれる、と学びました。そう思います。そのように感じます。これは「生きる」と関係があります。そうでは?!

聖性(Holiness)は、イエス・キリストと似た者となること、「イミタチオ・キリスト」(キリストに倣う)です。キリスト者が「努力目標」とすることです。聖性とは、思い、言葉、行いにおいて、キリストに似ることです。その聖性は、「愛徳」に最もよく表われます。神を愛し、自分を愛するように隣人を愛します。そして「愛徳」は、謙遜、正義、勤勉、純潔、従順、喜びなど、すべての徳に影響を与えます。キリスト者は、神の助けを頼りに一生をかけて「努力」します。努力して、実現できるのでしょうか?「恩恵」、「恩寵」が要ります。

中学生になったときのお正月、先生のうちに挨拶に行きました。友だちに誘われて、一緒に行きました。先生は「努力は全てを成就する」と新しいノートに書いてくださいました。母に見せると、大喜びでした。お前は努力すればできる、良い言葉をもらったと、喜んでくれました。それで努力する事を心がけたのです。
どう思いますか?「努力は全てを成就する」 どう思いますか?
誠実、忠実とは、自分に対して「する」ことと思います。自分の人格に対して、自分で誠実、忠実にすること、努力するみたい、今はそう思います。
誕生してから「知情意」を持つ存在になりました。努力だけでは、どうしようもないことがあります。人柄、人格、品位があります。恵みを祈りましょう。

聖書の個所:
ローマ8:28 「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています」。
ヨハネ4:10 「私たちが(先に)神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償う「いけにえ」として、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」。 先立つ神の愛を思いましょう。