今日は四旬節の最後の日曜日で「聖週間」の始まりの日で、「受難の主日」です。「子ろばに乗ってエルサレムに入城するイエスを大勢の群衆が服や木々の枝を敷いて迎えたエピソードにちなみ、棕梠(しゅろ)やオリーブの枝を掲げての宗教行列がミサの前に行われます。4世紀以降行われていた枝の行列は、イエスのエルサレム入城に始まる受難が、復活の栄光に至る道であることを想起させる日なのです。イエスがエルサレムに入城されたのは、これまで弟子たちに予告していた、十字架に架けられることでした。それはすべての人の罪のため、全ての人のその身代わりとなるために、ご自身の命を捧げるためでした。この受難の出来事を記念するのが、受難の主日であり、今日のミサの福音は、キリストの受難の朗読が読まれます。
今日の第二朗読は使徒パウロのフィリピの教会への手紙でした。パウロは互いに愛し合い、謙ることを教えるために、「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れて、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2.6-8)と書いています。この箇所は初代教会のキリスト讃歌が引用されていると思われています。先日アメリカを訪問した日本の高市首相はトランプ大統領との会談で、「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだと思っています」とゴマスリの発言をしていて、わたしは、日本の首相が情けなく腹が立ちました。イランに戦争を仕掛けて世界中に混乱を起こしている人に、「あなたの国は大国なので、世界に平和をつくり出す人物になってほしい」くらいのことは言って欲しかったです。教皇レオ14世の使徒的勧告「わたしはあなたを愛している」の中に、貧困と極端な不平等を生み出す罪の構造という文章の中で、「われらの救い主キリストは、貧しい人を愛しただけでなく、むしろ「豊かであったのに、貧しくなられた」のであり、貧しさのうちに生きたのである。主の使命は貧しい人々に解放を告げることに集中しており、主はその教会を、その貧しさのしるしとして、人間の間に建てられたのである‥‥そのためにわたしたちは、「少数の人の利益が飛躍的に増大する一方、大多数の人はこの幸福な少数派の得る裕福さからますます遠ざけられています。そのためわたしたちは「人間を殺す経済制度の独裁」を非難します。と書いています。トランプ大統領がアメリカを強い国、豊かな国にすると言えば、日本の高市首相も最近、「日本を強い国に」と言っています。強い者は弱い者を助け貧困から引き上げてあげなければならないのです。わたしは時々ユニセフのCMを見ます。これは、世界中の栄養不良や紛争、児童労働に苦しむ子どもたちを救うための「ユニセフ・マンスリーサポート・プログラム」への参加を呼びかける活動です。1日約100円(月3,000円)からの継続的な寄付により、ワクチンや栄養治療食、教育支援を届け、子どもたちの命と未来をつなぐプロジェクトです。わたしは戦争で使われるミサイル一本がどれだけの子どもを救えるだろうかと考えてしまいます。戦争に使うエネルギーをもっと別な方に向けるように人間はもっともっと考えなければなりません。今年の聖週間は世界中から争いがなくなり、神さまの喜ぶ平和が来るようにみなさん祈ってください。*(5)
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