毎年、四旬節第2主日は、「主の変容」の福音が朗読されます。今年の典礼はA年なのでマタイ福音書の変容の記事が読まれました。主の変容の出来事はイエスの最初の受難予告があってから六日目の出来事でした。この出来事は、十字架を通って栄光に至るイエスの道に弟子たちを招くものでした。先週の四旬節第1主日のお昼に、バチカン広場で教皇様はお告げの祈りの時に、ウクライナに対する戦争開始から4年たち迅速な停戦と平和のための対話の強化を改めてアピールされました。四年前のこの時は北京五輪が終わったあとすぐで、ロシアがウクライナに攻め入りました。今回はイタリアでのミラノ・コルティナ五輪が終わったばかりなのです。わたしはアメリカがイランに大規模な軍事作戦を仕掛けそうな気配なので、不安な気持ちになっています。教皇は、戦争について、「わたしの心は誰もが目にしているこの悲劇的な状況に改めて向かいます。いったいどれほど多くの人が犠牲になり、どれだけの人生や家族が壊され、どれだけの破壊と、言葉にできない苦しみがもたらされたことでしょうか。事実、すべての戦争は人類という家族全体に負わされる傷であり、死と荒廃、そして世代にわたる苦しみを残すものです」と話されました。また「平和を先送りすることはできません。それは緊急に必要なものです。この急務を心に留め、責任ある決断につなげなければなりません」と述べ「武器を収め、爆撃を止め、迅速に停戦を実現し、平和への道を開くための対話を強化しましょう」と改めて強く訴えられました。
わたしは先日、聖ヴィアンネの 「四旬節第一主日の福音について」という説教を読みました(聖ヴィアンネの精神、モンナン神父著・聖母の騎士社)。四旬節第一主日の福音は、イエスが悪魔から誘惑を受けるため”霊”に導かれて荒れ野に行かれた話でした。「私共のよい模範であられた救い主は、誘惑の場合にもやはり私共のよい模範であろうと望まれました。そのために、導かれるままに砂漠に行きたもうたのです。誘惑があるのは幸いだと言ってもよいでしょう。誘惑は天国のために蓄える収獲の時です。刈り入れの時期のようなものです。悪魔が誘惑するのは、罪から抜け出そうとする霊魂と聖寵の状態にある霊魂とにだけです。他の霊魂は彼の掌中にあるのですから、誘惑する必要がありません。ある時、一人の聖人が修道院の前を通りました。その時、たくさんの悪魔が修道士たちを責めさいなんでいるのを見ました。しかし、彼らは修道士たちを堕落させることは出来ませんでした。次にこの聖人はある町を通りました。すると一匹の悪魔が座って、腕を組んだままで群衆を動かしていました。そこで聖人は悪魔に尋ねました。「一握り程の少人数の修道士を責めさいなむためには、あんなにたくさんいながら、大きな町にはたった一匹なのはどうしたわけかね」と。悪魔は答えました。「町にはわたしだけで十分だ。あそこの人間どもは。怨みや邪淫や飲酒癖にすぐ陥りやすい。だからこういうもので奴等を捉える。ところが修道士どもは手ごわいわい。悪魔の軍団が彼らを誘惑しようと一生懸命になっても時間の浪費で骨折り損だと答えました。そして修道士たちは難しくても、普通には高慢と邪婬が有効であり、これに抵抗するための最もよい手段は積極的に神さまの御栄のために生活することです。多くの人々は怠惰に流れ遊堕にふけるので悪魔の足蹴りにあうのも驚くにも当たりません」と教えてくれました。そして聖ヴィアンネは説教の最後に、「よく聞きなさい。誘惑を受けたときには、その誘惑とは反対の徳を得るために、その誘惑の功徳を神さまにお捧げなさい。もし、高慢の誘惑を受けたなら、謙遜の徳を得るために、誘惑を神さまにお捧げなさい。」と言っています。主の変容を体験した弟子たちは山上に三つの仮小屋を作りたいと思いました。しかし彼らはまもなく山から降りなければなりませんでした。そして雲の中から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声がありました。弟子たちはこれからイエスの受難と死を体験し、教会を作り上げていく役割が残っていたのです。神の心、イエスの心に触れることができるように、日頃の祈りの生活を大切にしていきましょう。*(Ka)
『聖ヴィアンネの精神』モンナン神父著・聖母の騎士社
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