きょうは主の洗礼の祝日です。クリスマスから2週間たち、今日は降誕節の最後の日です。イエスの洗礼の出来事は、イエスが神の子として現される、という降誕節のテーマの一つの頂点です。またイエスが神の子としてのデビューを記念する日でもあります。マタイ福音書では2章の東方の博士たちの訪問の後、聖家族は夢のお告げで、エジプトへ避難したことが書かれています。ヘロデ王が死んでからイスラエルに戻り、ガリラヤのナザレに住んだと書かれています。ルカ福音書にはイエスの少年時代、12歳の時に神殿で迷子になったこと(ルカ2.41-50)とナザレで両親と共に暮らしたことが書かれています。それから今日の洗礼者ヨハネからの洗礼までなにも記録されていません。ルカはイエスが宣教活動に入ったこの時は30歳の頃であったと書いています(3.23)。これ以降を公生涯と言います。公生活に入ってからヨセフはもう登場しないため、すでに亡くなっていたと思われます。イエスは人々から大工の息子とみなされていて30歳くらいまで母マリアや親戚の者たちと共にナザレで暮らしていました。わたしは自分が洗礼を受けてから、神父になりたいとキリスト信者でない家族に言った時のことを思い出しました。母や兄弟たちは大学を途中で辞めてしまい、何をするのかよくわからなかったため不安になったみたいです。イエスがガリラヤを離れ洗礼者ヨハネのところに行った時、聖母マリアはどんな気持ちだったでしようか。赤ちゃんの時神殿でシメオンから「この子は逆らいを受けるしるしとなる」(ルカ2.35)と言われていたことを思い出さなかっただろうかと考えました。イエスの洗礼はひとつの区切りでした。罪のないイエスが、罪の悔い改めのための洗礼をヨハネに求められたことは、ヨハネを驚かせました。イエスは、神の義を完全に成就するために、この世の罪人と同じ立場に立って洗礼を受ける必要があると説明されました。洗礼の後、天が開けて神の霊が鳩のように降下し、天からの声がイエスを「愛する子」と宣言しました。これは、父なる神、御子イエス、聖霊なる神の三者が同時に現れる、三位一体の啓示と解釈されます。この出来事によって、イエスが神の御子(メシア)であることが公に宣言され、その後の宣教活動への備えがなされました。
わたしは自分が「司祭になりたい」と家族に言って神学校に入った時に、親や家族の心配や不安を何も考えていなかったので、イエスの出家の時にも、辛い思いをして救い主を差し出してくれた家族がいたことをありがたく思いました。「神は独り子をお与えになるほどに、この世を愛されたのです。神はこの世を裁くためではなく、おん子によって、この世が救われるようになるため」に独り子を与えてくださいました。(ヨハネ3.16-17)。アルスの聖ヴィアンネ司祭は救霊についての説教の中で、『皆さん、なんと悲しいことでしょう。信者の四分の三は、やがて土の中で腐れ果てるこの屍を、満足させるためだけに働いているのです。そして永遠に幸福になるか、不幸になるべき自分の霊魂については、考えてみようともしないのです。」と言っています。
今日の箇所で、主イエスに向けて、「(あなたは)わたしの愛する子、わたしの心に適う者」という不思議な天からの声が聞こえてきたわけですが、これは主イエスだけのことではなく、皆さんわたしたち一人ひとりの洗礼のときにも「神の愛する子」になっていたのです!
そして「わたしの心に適う者」というところを「私を喜ばせる者」と表現した学者がいましたが、皆さんは洗礼によってキリストに結ばれて、キリストと二人三脚の人生を歩むようになりました。そして今日も皆さんに天の神からメッセージが届けられています。「あなたも、わたしの愛する子、わたしを喜ばせる一人」なのだという天の声です。
神が共にいてくださいます。自分の魂の救いについてよく考えてみてください。*(O)
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