ラテラノ教会とは、紀元4世紀にコンスタンティヌス皇帝によって建てられた、ローマにある教会のことです。14世紀までローマ司教(教皇)の司教座聖堂として用いられ、すべての教会の母とされてきました。ちなみにバチカンの聖ペトロ大聖堂は14世紀末からローマの司教座聖堂となりました。全世界の教会で祝われる「ラテラノ教会の献堂」の祝日は、カトリック教会の一致のかなめであるローマの教会とのつながりを思い起こす日です。
福音の箇所は、石造りの神殿ではなく、ほんとうに神が住まわれるところはどこかを問いかける箇所です。イエスの頃、牛や羊や鳩は神殿でいけにえとしてささげられる動物でした。また、神殿への献金のためには、当時流通していたギリシアやローマの貨幣が使えないので、イスラエルの伝統的な貨幣に交換してもらう必要もありました。これらの商売は神殿での祭儀や礼拝のために必要なものでした。イエスはなぜこの商売を妨害しようとしたのでしょうか。イエスは神殿の本来の意味は「神がそこに住まい、人が神と出会う場」ですと考えました。イエスという方において、特に死んで復活したイエスという方において、神は人と共におられ、人は神に出会うことができます。わたしたちもこの新しい時代に生きています。石造りの神殿が否定され、死んで復活したイエスこそが神の住まいとなる。日常生活のすべてが神との出会いの場となる。だとしたら教会とは何でしょうか?
「教会献堂」とは、実は本来、建物の落成記念という意味ではありません。「教会」はギリシア語では「エクレーシアekklesia=呼び集められたもの」です。大切なのは、そこに神によって呼び集められたキリスト者の共同体が始まっている、あるいは育っているということなのです。この信仰共同体としての教会に「目に見えない神との出会いの場になる」という使命が与えられています。教会そのものが「秘跡」すなわち「目に見えない神の恵みの目に見えるしるし」であるということもできます。
日本の教会は小さく弱い存在です。しかし、わたしたちの教会は決して孤立した共同体ではありません。全世界の教会のネットワークにつながり、2000年の豊かな伝統につながっています。「ラテラン教会の献堂」を祝うことは、この大きなつながりが、わたしたちの教会をいつも支え励ましてくれていることを思うことでもあります。ラテラノ教会はローマの4大聖堂のひとつに挙げられています。二人の聖ヨハネ(12使徒のヨハネと洗礼者ヨハネ)に捧げられた教会でサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂と呼ばれています。この教会の側に教皇が住んでいたラテラノ宮殿がありました。アシジの聖フランシスコが仲間と一緒に自分たちのグループを修道会に認可してもらうため教皇に会いに行った時、その頃、教皇インノケンティウス3世はまだラテラノ宮殿に住んでいて、一人の修道者(フランシスコ)が傾いた教会を支えている夢を見て修道会設立の認可を与えたと言われています。
教会はわたしたちにとってとても大切なものです。イエスは自分の救いの業を継続させるために使徒たちを選び教会を残しました。わたしたちは教会の中で生まれ養われ生かされます。教会共同体を離れてはひとりで信仰を守ることができません。教会と何かのわだかまりやゴタゴタがある人は謙遜に教会に戻って来てください。わたしたちは教会から足が遠くなった人に対して親身になって関わって行きましょう。教会から離れると神からのいのちを失ってしまいます。*(O)
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