今日は9月14日で十字架称賛の祝日にあたっています。典礼の規則で、この日が日曜日に当たると、年間主日ではなく、この祝日を祝うようになっています。今日の聖書と典礼の最後の方に聖アウグスチノ修道会の神父さんが、「今日はレオ14世教皇の70歳の誕生日」と知らせてくれています。今日は教皇様のためにもお祈りしてください。日本では明日が敬老の日で連休になっているので、今日は「祖父母と高齢者のための世界祈願日」になっています。「十字架称賛の日」は、毎年9月14日で、イエス・キリストが磔にされた十字架の発見と、その十字架が人々の救いの源となったことを記念する祝日です。この日は、イエスの受難の象徴である十字架を、神の愛と救いのしるしとして「称賛」し、その意味を深く黙想する日とされています。

 今日の福音は「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない」というイエスの言葉と、有名な「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3.16)という言葉が含まれています。ヨハネ3章16節はキリスト教信仰において非常に重要な聖句です。このことばは、神が人類を深く愛し、イエス・キリストをこの世に遣わしたことによって、キリストを信じる全ての人に滅びることのない永遠の命が与えられることを説いています。 この福音の箇所は、A年の三位一体の主日の福音にも選ばれています。ヨハネ3章16節のことばの中には、聖書のエッセンスがすべて含まれています。それでこの箇所は「聖書の中の聖書」と言われています。

 2021年9月14日の十字架称賛の祝日に教皇フランシスコはスロバキアを訪問していてその日のミサで、十字架にキリストの愛を「見つめ」、それを「証しする」者となるようにと説教されました。そして十字架を買って家にかけたり、身に着けたりするだけでは足りず、十字架の前に立ち止まり、それを見つめ、心を開き、わたしたちの愛のために傷ついた神のために感動しなくてはならない、と話されました。

 先週の日曜日の福音でイエスは「わたしに従いたい者は自分の十字架をとってわたしに従いなさい」と言っていましたが、みなさん、自分の辛い十字架を考えるだけでなく、キリストの十字架の意味を深く考え感謝して神の愛を証しする者になりましょう。先日の9月9日はわたしの十字架の記念日でした。1999年の9月9日(9がたくさん並んだ日)にそのころわたしは滝川教会で独りぐらしをしていました。その日家庭集会があって信者さんの家に行っていて、具合が悪くなり早く教会に戻りました。その晩札幌の信者のお医者さんが来てくれて、次の日に砂川市立病院に一緒に行ってもらいました。そしたら脳梗塞でそのまま入院になりました。52歳の時で司祭に叙階されて25年目の年でした。その後、2018年の5回目の発病からは車椅子の生活になっています。脳梗塞はわたしの十字架になりました。先週の答唱詩篇に♪神の計らいは限りなく生涯わたしはその中に生きる♪という曲が歌われましたが、わたしの人生は神の計らいの中にあるのだと思っています。十字架は考え方によって苦しくて辛いものですが、わたしの十字架はキリストの贖いの業に、ちっちゃなお手伝いをさせてもらっていると考えることもできます。みなさん自分のどうしても降ろすことのできない

 十字架は、それが自分がキリストに従うために用意してもらった賜と考えましょう。

 今日はイエスの十字架称賛の祝日です。イエスが十字架につけられたことによって、人間の憎しみや暴力が「ゆるし」と「愛」に変えられ、神の救いとなったことを記念する日です。わたしたちにとって十字架はとても大切なものだということをみなさんあらためて考えてほしいと思います。*(O)

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